水野清一(読み)みずのせいいち

改訂新版 世界大百科事典 「水野清一」の意味・わかりやすい解説

水野清一 (みずのせいいち)
生没年:1905-71(明治38-昭和46)

東洋考古学者。神戸市生れ。1924年京都大学文学部東洋史の選科生となり,卒業後29-30年に東亜考古学会の第2回留学生として北京に留学。東方文化研究所研究員として,華北の響堂山,竜門,雲岡などの石窟寺院の研究に取り組む。《雲岡石窟》の出版により,52年恩賜賞を受けた。第2次大戦後は,イラクイランを中心とした東京大学の調査に対し,パキスタンアフガニスタンの古代仏教遺跡の調査を行った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水野清一」の意味・わかりやすい解説

水野清一
みずのせいいち

[生]1905.3.24. 神戸
[没]1971.5.25. 京都
考古学者,文学博士。京都帝国大学文学部史学科卒業。東方文化学院京都研究所研究員,のちに,京都大学人文科学研究所教授。専門の分野は中国考古学であるが,もっぱら外国の遺跡について,発掘,調査を行い,日本における海外考古学調査の草分け的存在であった。おもな業績は,雲崗,竜門,響堂山などの中国の仏教石窟寺院址の調査,対馬壱岐の調査,イラン,アフガニスタン,パキスタンのガンダーラ仏教美術関係遺跡の発掘などである。著書として『内蒙古長城地帯』 (1935,江上波夫と共著) ,『竜門石窟の研究』 (41,長広敏雄と共著) ,『雲崗石窟』 (51~56,同) ,『殷周青銅器と玉』 (59) ,『ハイバクとカシュミール=スマスト』 (62) ,『中国の仏教美術』 (68) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野清一」の解説

水野清一 みずの-せいいち

1905-1971 昭和時代の考古学者。
明治38年3月24日生まれ。北京に留学。昭和24年京大人文科学研究所教授となる。中国の石窟寺院を調査,研究し,長広敏雄との共著「雲岡(うんこう)石窟」で27年学士院恩賜賞。34年から7次にわたる京大イラン・アフガニスタン・パキスタン学術調査隊をひきいた。昭和46年5月25日死去。66歳。兵庫県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の水野清一の言及

【雲岡石窟】より

…明治・大正期に松本文三郎,木下杢太郎,大村西崖,小野玄妙も調査や研究を加えたが,関野貞(せきのただし)・常盤大定(ときわだいじよう)《支那仏教史蹟》巻2(1926)は従来の研究に画期を与え,その石窟番号は現在まで使われている。のち東方文化学院(京都大学人文科学研究所東方部の前身)は水野清一を隊長として38‐44年に実測・撮影・拓本・小発掘による大規模な調査をおこない,《雲岡石窟》16巻(1951‐56)を公刊。解放後の中国は55年以来補修工事を成就し,山西雲岡石窟文物保管所をおき,調査発掘や石窟防護にあたっている。…

※「水野清一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android