水野忠任(読み)みずの・ただとう

朝日日本歴史人物事典 「水野忠任」の解説

水野忠任

没年:文化8.12.27(1812.2.9)
生年:元文1(1736)
江戸中・後期の肥前国唐津藩(佐賀県唐津市)藩主。通称は長十郎。織部正に任ぜられ,のち和泉守に改め,隠居後越前守に改める。父は旗本水野守満。宝暦1(1751)年三河国岡崎藩主水野忠辰が「押込」により隠居させられたため養子となり,2年6万石を継ぐ。三方領知替により12年唐津に転じる。転封の際の出費がかさみ財政が逼迫したため年貢増徴,専売制の強化などの財政改革断行先例を無視し農民に大きな負担をかける政策であったので,明和8(1771)年農民2万人余が蜂起するという「虹の松原一揆」が起こり改革は失敗。その責を負って安永4(1775)年隠居,養子の忠鼎に家督を譲った。

(小柴良介)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野忠任」の解説

水野忠任 みずの-ただとう

1736-1812* 江戸時代中期の大名
元文元年生まれ。三河(愛知県)岡崎藩主水野忠辰(ただとき)の押し込め隠居により一族から養子にはいり,宝暦2年(1752)水野家7代となる。転封(てんぽう)により12年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主水野家初代。6万石。楮(こうぞ)の強制栽培,新課税などで増収をはかるが,明和8年虹の松原一揆(いっき)がおこり,改革に失敗した。文化8年12月27日死去。76歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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