水無瀬離宮(読み)みなせりきゅう

世界大百科事典(旧版)内の水無瀬離宮の言及

【水無瀬家】より

…親信の男坊門親兼および親兼の男信成は後鳥羽上皇の寵臣で,親兼は承久の乱後に上皇に従って落飾し,信成もまた法皇の没後に出家した。信成の男親成は法皇より譲渡を受けた水無瀬離宮の址に住居し,同所に御影堂を営んで法皇の霊をまつり,これにより以後は水無瀬を称するようになった。ついで親成の男良親は朝廷に仕え,室町時代には重親の没後,子がなかったため三条公冬の男季兼が入って家名を継いだ。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」