水原代官所跡(読み)すいばらだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「水原代官所跡」の解説

水原代官所跡
すいばらだいかんしよあと

[現在地名]水原町外城町

外城とじよう村の北西端、水原村との境にある。下越地方の幕府領を統轄するため延享三年(一七四六)に設置された代官所。元文五年(一七四〇)七月に新発田藩預地八万三千四二六石余が幕府直轄地となり、石瀬いしぜ代官所の支配地となったが、支配地域が広すぎたため、水原にも代官所を設置することになり、延享二年に陣屋の建設が始まった。陣屋は翌三年六月に完成、七月には石瀬代官小野三太夫から初代水原代官内藤十右衛門に高七万三千石余(一説では六万三千石余)が引渡され、水原代官所が発足した(岡家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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