日本大百科全書(ニッポニカ) 「気球」の意味・わかりやすい解説
気球
ききゅう
balloon
航空機のうち、翼による揚力やプロペラやジェットエンジンなどの推進装置をもたず、空気より軽い気体を利用して浮力を得るもの。この種の軽い気体を利用する航空機をLTA(lighter than air)航空機といい、そのうちで推進および操縦装置をもつものは飛行船とよぶ。気球には暖められた空気を使用する熱気球と、水素ガスやヘリウムガスなど空気より比重の軽い気体を使用するガス気球の2種類がある。索で地上につながれる係留気球は、アドバルーンとして広告に用いられている。索がなく空中を漂う気球を自由気球といい、スポーツ用に使われる。
[野口常夫]
歴史
気球は古くから各国で研究されてきた。しかし、実際に空にあがった最初の気球は、フランスのモンゴルフィエ兄弟によってつくられた熱気球である。兄のジョゼフ・モンゴルフィエは煙が空に昇るのを見て、煙を詰めた袋をつくればそれが上昇するだろうと予測し、リヨン近郊の野原で大きな紙袋に煙を詰めて空にあげる実験を行い、約300メートルも上昇させることに成功した。その後、上昇の理由が煙ではなく、暖められて膨張した空気が周りの空気より軽くなるという原理によることに気づき、絹張りの気球を用い、1783年6月5日、2000メートルの高度まで上昇させた。実験用の気球は離陸地点から2.4キロメートルも飛行して落下した。同じころフランスのシャルルは水素ガスを使用するガス気球を製作した。シャルルの水素ガス気球は、同年8月27日、パリのシャン・ド・マルス公園(現在のエッフェル塔の位置)からあげられ、翌28日に24キロメートル離れたジュノスまで飛行したことが確認された。
係留索なしで初めて空を飛んだ人類は、1783年11月21日、モンゴルフィエの熱気球で飛行したド・ロジエJ. F. Pilâtre de Rogier(1756―85)とダルランド侯爵Marquis d'Arlandesである。ブローニュの森を離陸した熱気球は、アルコールをしみ込ませた藁(わら)とウールを燃やして気球の中の空気を暖め、浮力をつけながらパリの上空を飛び、25分間で8キロメートルを飛行した。同じ年の12月1日、シャルルはチュイルリー公園から水素気球で飛び立ち、高度570メートルに昇り、43キロメートルを飛んだ。その後、気球は軍用にも用いられた。1849年、オーストリア軍は爆弾を積んだ無人気球でベネチアを攻撃し、アメリカ南北戦争(1861~1865)では最初に北軍が気球を偵察に用いた。さらにプロイセン・フランス戦争(1870~1871)では、包囲されたパリと外部との連絡に、自由気球が活躍したことが知られている。しかし20世紀に入ると操縦の可能な飛行機の発達に伴って気球の利用も限られてきた。軍用としての使用は、第二次世界大戦中の日本軍が紙製の気球に爆弾を積みアメリカ本土爆撃を企てた風船爆弾などが知られている。第二次世界大戦後、気球は高々度の気象観測用として使用され、また新しい航空スポーツとしてヨーロッパやアメリカを中心に盛んに用いられている。
[野口常夫]
飛行の原理
気球は、気体を満たす気嚢(きのう)と、その下の吊籠(つりかご)(バスケット、ゴンドラともいう)からなっている。気嚢に満たされた気体と空気との比重の差から生まれる浮力によって気球を上昇させる。
熱気球は暖められた空気を気嚢内に満たし浮力を得ているが、温度が下がるにしたがって浮力も減少する。一定の浮力を維持するには、つねに気嚢内の空気を暖めなければならない。このため熱気球には熱源の搭載が必要である。このことが熱気球の実用化を遅らせる最大の原因であったが、最近では比較的安価でじょうぶな新しい気球の材料が普及し、熱源としても扱いやすく熱量の高いプロパンガスが使用できるようになったので、スポーツとしての熱気球の利用が著しく広まった。熱気球は、ガスバーナーによる気嚢内空気の加熱によって浮力を強めて上昇し、排気弁を開けば下降する。したがって搭載する燃料の量で飛行時間が制限される。
ガス気球はバラスト(おもり)を投下すれば上昇し、バルブからガスを放出すれば下降する。バラストを使い尽くせば高度の調整ができなくなるが、熱気球と違って浮力にガスを使っているので長時間の飛行が可能である。ヨーロッパではガス気球のほうに人気があり、愛好者が多い。
気球は、高度によって風向、風速が異なる性質をうまく利用して目的地への飛行を行う。飛行前に上層の風向、風速など気象状況をよく調べて飛行計画をたて、高度を変化させ、適当な風をとらえながら飛行する。
[野口常夫]
気球スポーツ
スポーツとしての気球飛行はバルーニングともいい、19世紀中はおもに水素ガス気球によりドーバー海峡横断、アルプス山脈横断などが行われた。1905年には国際気球協会(FAI=現在は国際航空連盟とよばれる)がフランスに設立され、各国にも続々と気球協会が誕生した。この間にガス気球の改良が進み、1913年にはドイツ人のカウレンによる87時間連続飛行や、翌年のベルリナーの3527キロメートル無着陸飛行の記録が生まれた。1906年にはアメリカ人ゴードン・ベネットによってゴードン・ベネット杯長距離レースが始められた。その後、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)や航空機の発達、水素ガスの危険性やヘリウムガスの高価格などにより、スポーツとしての大きな発展はみられなかったが、20世紀後半になって、1978年の大西洋横断や1981年のロッキー青木(1938―2008)らによる太平洋横断飛行の記録が注目される。1999年には、ベルトラン・ピカールBertrand Piccard(1958― )が、無着陸世界一周飛行を成功させた。
気球が大衆のスポーツとして広まるのは、アメリカのE・ヨストによるプロパンガス・バーナーの開発と、ナイロンやテトロンの普及による熱気球の再生に起因する。1973年にはアメリカのアルバカーキで第1回熱気球世界選手権大会が13か国を集めて行われ、以後隔年に挙行されている。日本でも、1989年(平成1)と1997年の二度にわたって佐賀市を主会場にして開催されたが、2006年には栃木県茂木(もてぎ)町を主会場にして開催された。通常の競技会で行われる種目には、ヘア・アンド・ハウンド(ウサギと猟犬の意)やCNTE(制御軌道航法種目)などがある。前者は、目標となるヘア気球を競技気球が追尾するもので、後者は、あらかじめ定められた目標点に達するように競技気球が数キロメートル先の思い思いの地点から離陸して接近度を競う。いずれも気象条件や地形を熟知して、気球を操作する頭脳的なゲームである。気球の操作は、バーナーを焚(た)いたり消したりして高度を変え、好ましい向きの風をとらえる。着陸の際は、気球の頂点にあるリップパネル(総排気弁)を開く。
日本では1973年(昭和48)に日本熱気球連盟(1975年日本気球連盟に改称)が発足、2009年末現在会員数約1800名、登録気球約1350である。
[今村佐紀夫]
『コットレル著、西山浅次郎訳『気球の歴史』(1977・大陸書房)』▽『西村純著『岩波科学の本 気球をとばす』(1982・岩波書店)』▽『スティーブ・パーカー著、片桐敏夫訳『シリーズ 世界をひらく窓8 航空機――その種類と発達のようす』(1996・評論社)』▽『喜多尾道冬著『気球の夢――空のユートピア』(1996・朝日新聞社)』▽『マイケル・テイラーほか著『航空ギネスブック 日本語版』(1998・イカロス出版)』▽『篠田皎著『気球の歴史』(講談社現代新書)』▽『ヴァディム・ニコラエヴィッチ・インファン著、藤川健治編訳『気球と飛行船物語』(社会思想社現代教養文庫)』▽『鈴木俊平著『風船爆弾』(新潮文庫)』▽『磯貝浩・松島駿二郎著『風船学入門』(平凡社カラー新書)』