気比神宮(読み)ケヒジングウ

デジタル大辞泉 「気比神宮」の意味・読み・例文・類語

けひ‐じんぐう【気比神宮】

福井県敦賀つるが市にある神社。旧官幣大社祭神は、伊奢沙別命いざさわけのみこと(気比大神)ほか六神。天保2年(1831)建造の大鳥居は重要文化財越前国一の宮

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精選版 日本国語大辞典 「気比神宮」の意味・読み・例文・類語

けひ‐じんぐう【気比神宮】

福井県敦賀市曙町にある神社。旧官幣大社。祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)(=気比大神)、仲哀天皇神功皇后など七神。大宝二年(七〇二文武天皇のときの創建と伝えられ、北陸道の総鎮守として崇敬された。延喜式名神大社越前国一宮。お気比さん。

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日本歴史地名大系 「気比神宮」の解説

気比神宮
けひじんぐう

[現在地名]敦賀市曙町

敦賀市街の北東部に鎮座する。大鳥居をくぐり手水てみず社を過ぎると、左手に中鳥居が立つ。中鳥居を経て北進すると、拝殿に至る。拝殿の奥に本殿、左手奥に九社くしや宮が鎮座。境内は緑の森に覆われ、敦賀の発祥地と伝える角鹿つぬが神社がある。祭神は伊奢沙別いざさわけ命・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命。武内社で、越前国一宮とされた(大日本国一宮記)。旧官幣大社。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔草創伝承と海人族〕

「気比宮社記」によれば、仲哀天皇の時、神功皇后が三韓出兵の成功を気比大神に祈り、海神を祀るようにとの神託があった。その後、神功皇后は穴門あなと(現山口県下関市)に向かう途次、干・満の珠を海神より得たといい、同天皇八年三月、神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比大神を祀らせたのに始まるという。この時、気比大神は玉妃命に神憑りして再び三韓出兵の成功を託した。気比大神の名は「古事記」仲哀天皇段に

<資料は省略されています>

みえる。この記事や社伝・信仰伝承から、気比大神は古くからこの地で信仰されてきた御食津神すなわち食物をつかさどる神で、とくに海人族によって信仰されてきた神であったと考えられる。また「日本書紀」神功皇后摂政一三年二月条に「武内宿禰に命せて、太子に従ひて角鹿の笥飯大神を拝みまつらしむ」とみえ、古くから天皇家の崇敬を受けており、前述の三韓出兵祈願伝承や、この早くからの天皇家の崇敬は、海人族の信仰した神ということと関連あるものと思われる。

〔朝廷との結び付き〕

大宝二年(七〇二)文武天皇が社殿を造営し、同時に仲哀天皇・神功皇后を本宮に合祀したといい、その後、日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉妃命を平殿宮、武内宿禰を西殿宮に祀ったと伝える。大同元年(八〇六)の牒(新抄格勅符抄)に「気比神 二百四戸 越前国天平三年十二月十日符三位二百戸、神護元年九月七日符廿二戸(ママ)戸廿二戸」とみえ、神封二四四戸を受けている。「続日本後紀」承和六年(八三九)二月二六日条に越前国気比大神宮とみえ、国司に任ぜられていた当社雑務をやめ、神祇官に従うこととされて以後、朝廷とのかかわりを強めたことが知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「気比神宮」の意味・わかりやすい解説

気比神宮 (けひじんぐう)

福井県敦賀市曙町に鎮座。伊奢沙別(いざさわけ)命,帯(たらし)中津彦命(仲哀天皇),息長帯姫(おきながたらしひめ)命(神功皇后),日本武(やまとたける)命,誉田別(ほんだわけ)命(応神天皇),豊姫命(神功皇后の妹姫か),武内宿禰(たけうちのすくね)命の7座をまつる。旧官幣大社。大陸と京畿とを結ぶ要地であった敦賀の鎮護神として仰がれ,神功皇后が武内宿禰に命じて誉田別命とともに気比(笥飯(けひ))大神を拝祭させた話が《日本書紀》に見える。《古事記》にも主神の伊奢沙別命を御食津(みけつ)大神と名づけたとあり,食物の神となっていたことが知られるが,一説には神功皇后の母方の祖神である新羅王子の天日槍(あめのひぼこ)命だとされる。境内摂社の角鹿(つぬが)神社が任那(みまな)の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)命をまつっているように,大陸と関係の深い神社である。古代には,朝鮮からの渤海使節のため設けられた敦賀の松原客館は,気比の宮司が検挍(けんぎよう)するところだった(《延喜式》)。朝廷の尊崇も厚く,神封は806年(大同1)に244戸に達し,しばしば勅使の奉幣があり,839年(承和6)には遣唐使船の平安を祈っている。神階は859年(貞観1)に従一位,やがて正一位となり,延喜の制では7座とも名神大社に列し,後,越前国の一宮となり,広大な社領を有して勢威をふるった。1337年(延元2・建武4)には大宮司気比氏治父子が恒良(つねよし)・尊良(たかよし)両親王を金崎(かねがさき)城に奉じて足利軍と戦って敗れ,その後しだいに衰えた。近世には福井藩主の社領寄進,社殿造営をはじめ北陸の大名の崇敬をうけた。1871年(明治4)に国幣中社,95年官幣大社となり神宮号に改めた。

 1614年(慶長19)建造の本殿は桃太郎の彫刻があって有名だったが,1945年の戦災で他の社殿とともに焼失し,現在は清楚に復興。戦災を免れた大鳥居は1645年(正保2)の建造といわれ重要文化財。例祭は9月4日で,2日の宵祭から15日の月次祭まで続くので気比の長祭と呼ばれる。7月22日の総参祭には摂社の常宮(じようぐう)神社への海上渡御がある。なお,神宮寺は715年(霊亀1)の建立で,記録に残る神宮寺のうちで最も古いものの一つである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「気比神宮」の意味・わかりやすい解説

気比神宮
けひじんぐう

福井県敦賀(つるが)市曙(あけぼの)町に鎮座。伊奢沙別命(いざさわけのみこと)(気比大神(おおかみ)、御食津(みけつ)大神)を主神に、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后、応神(おうじん)天皇、日本武命(やまとたけるのみこと)、玉妃命(たまひめのみこと)、武内宿禰(たけのうちのすくね)を配祀(はいし)する。伊奢沙別命は古くからこの地方開発の神として尊崇され、他はのちになって合祀されたと伝える。仲哀天皇は即位ののちまもなく当社に参詣(さんけい)、神功皇后とともにいわゆる「三韓(さんかん)征伐」の成功を祈り、「征伐」後、皇后は皇子(後の応神天皇)をして当社に参拝せしめたと伝え、歴朝の崇敬はきわめて厚かった。延喜(えんぎ)の制では名神(みょうじん)大社。越前(えちぜん)国一宮(いちのみや)となり、中世以降は武将の領地寄進も相次いだ。1895年(明治28)宮号宣下により気比神宮と称し、それまでの国幣中社から官幣大社となる。摂社、末社の数はきわめて多い。例祭は9月4日。ただし同月2日の宵宮(よいみや)祭から15日の月次(つきなみ)祭まで続くので気比の長祭として有名。ほかに3月6日の御誓祭(みちかいまつり)、3月8日の御名易祭(みなかえまつり)、6月15日の御田植祭、6月16日の牛腸祭(ごちょうさい)、7月21日の寅(とらの)神事、7月22日に神輿(みこし)を対岸の常宮(つねのみや)神社に神幸する総参祭(そうまいりのまつり)などの特殊神事がある。1614年(慶長19)結城秀康(ゆうきひでやす)寄進の本殿は1945年(昭和20)戦災で焼失、5年後復興。本殿の四周に東殿宮、総社宮、平殿宮、西殿宮があり、四社の宮と称する。現在の本殿、拝殿、儀式殿などは1985年から行われた「昭和の大造営」による再建で、唯一戦災をまぬかれた1645年(正保2)建立の大鳥居は国の重要文化財。

[平泉隆房]


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百科事典マイペディア 「気比神宮」の意味・わかりやすい解説

気比神宮【けひじんぐう】

福井県敦賀市曙町に鎮座。旧官幣大社。気比大神(伊奢沙別(いざさわけ)命)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・豊姫(とよひめ)命・武内宿禰(たけしうちのすくね)命をまつる。文武天皇の時の創建と伝える。敦賀の守護神で,朝廷の尊崇も厚かった。延喜式内の名神大社。越前国の一宮。気比の長祭とよばれる例祭は9月4日。また総参(そうのまいり)祭(7月22日)は船形の神輿(みこし)が海上を常宮(じょうぐう)神社まで渡御する。
→関連項目金崎城敦賀[市]放生津

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「気比神宮」の解説

気比神宮
けひじんぐう

気比大神宮・笥飯(けひ)宮とも。福井県敦賀市曙町に鎮座。式内社・越前国一宮。旧官幣大社。祭神は伊奢沙別(いざさわけ)命(気比大神)・仲哀天皇・神功皇后・日本武(やまとたける)尊・応神天皇・武内宿禰(たけのうちのすくね)・豊玉姫(とよたまひめ)命。もとは当地に古くから信仰されていた御食津(みけつ)神(食物の神)であるらしい。神功皇后が太子と武内宿禰を遣わして参拝させたと伝えられ,692年(持統6)神戸が増封された。朝廷の崇敬が厚く,893年(寛平5)正一位勲一等。貴族・武家の庇護のもと大いに繁栄した。例祭は9月4日。大鳥居は重文。

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デジタル大辞泉プラス 「気比神宮」の解説

気比(けひ)神宮

福井県敦賀市にある神社。地元では「けいさん」「けいの明神」と通称される。伊奢沙別命(いざさわけのみこと)、仲哀天皇、神功皇后など、7柱の神を祀る。越前国一之宮。高さ約11mの大鳥居は国の重要文化財に指定。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「気比神宮」の意味・わかりやすい解説

気比神宮
けひじんぐう

福井県敦賀市に鎮座する元官幣大社。祭神は,イザキワケノミコト,日本武尊,タラシナカツヒコノミコト,オキナガタラシヒメノミコト,ホムダワケノミコト,トヨヒメノミコト,武内宿禰。越前国一の宮。例祭9月4日。

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