民俗学(読み)みんぞくがく

精選版 日本国語大辞典 「民俗学」の意味・読み・例文・類語

みんぞく‐がく【民俗学】

〘名〙 民間伝承を主な研究資料として、民俗性や民俗文化を庶民の生活感情を通して研究する学問。民伝学。フォークロア
※河童(1927)〈芥川龍之介〉三「東北の河童は赤いと云ふ民俗学(ミンゾクガク)上の記録」

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デジタル大辞泉 「民俗学」の意味・読み・例文・類語

みんぞく‐がく【民俗学】

民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究する学問。英国に起こり、日本では柳田国男折口信夫おりくちしのぶらにより体系づけられた。フォークロア。

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改訂新版 世界大百科事典 「民俗学」の意味・わかりやすい解説

民俗学 (みんぞくがく)

世界の文明民族の国々で,自国民の日常生活文化の歴史を,民間伝承を主たる資料として再構成しようとする学問。日常生活文化は,民族文化の基層にあたり,この部分を究明していくことによって,各民族のもつ民族性を明らかにすることができる。

民俗学はまずイギリスに起こったが,フォークロアfolkloreの語は,1846年トムズJ.W.Thomsが従来の古俗や古謡の総称として新たにつくったものである。1878年ロンドンに民俗学協会Folklore Societyが発足し,ついで,スペイン,フランス,アメリカ,ドイツに順次,民俗学研究の団体が作られ,フォークロアの語が普及しはじめた。だいたい19世紀末から20世紀にかけての時期に都市に住む知識人たちの関心が,民間の記録に残されなかった日常的文化の実態に及ぶようになった結果である。フォークロアは,民間の伝承として存在し,古風な風俗習慣や儀礼,信仰,俚諺などを具体的な資料とすることで一致している。民俗学の初期は,多く好事家の趣味とみなされがちであった。実際,奇習や珍奇な民具を収集する仕事が民俗学だと思われる時期がつづいていた。しかし1890年イギリスのゴンムG.L.Gommeが《民俗学ハンドブックThe Handbook of Folklore》を出版して,科学としての民俗学の立場を明らかにした。さらに1914年バーンC.S.Burneが,その増補版を刊行している。フランスでも,P.セビヨA.ファン・ヘネップ,サンティーブP.Saintyvesなどによる民俗学概論書が,つぎつぎと刊行されている。グリム兄弟のメルヘン収集を出発点とするドイツの民俗学は,イギリス,フランスと少し趣を異にしている。W.H.リールは,フォークロアと表現せず,フォルクスクンデVolkskundeと唱え,ドイツの民族文化全体を研究の対象に位置づけている。リールの後,マイアーJ.Meier,ナウマンH.Naumannがドイツ民俗学の体系化につとめたが,とくに1922年のナウマンの《ドイツ民俗学綱要》は,民族文化を表層と基層とに分け,表層から基層へという文化の下降を跡づけるという問題を提起した。フィンランドでは,K.クローンA.アールネとともに《F.F.C.》(《Folklore Fellows Communications》)を出した。これは説話研究の機関誌として国際的評価を得たものである。アールネはアメリカのトムソンS.Thompsonの協力を得て,昔話の型とモティーフを分類するに至った。一方アメリカ民俗学は,1888年創刊の《民俗学雑誌Journal of American Folklore》が一つの出発点となっており,のちにF.ボアズが編集し,アメリカ・インディアンやニグロ,ヨーロッパ系の移民集団の民間伝承の研究が行われた。そしてトムソンの後,ドーソンM.Dorsonがアメリカ民俗学の体系化につとめてきた。

 中国においては,1927年の中山大学民俗学会の成立をもって,中国民俗学のスタートと解されている。機関誌《民俗週刊》は100冊近く刊行され,主として民間文芸研究に成果がみられている。韓国民俗学は,1920年代後半に体系化がはじまっており,32年に宋錫夏,孫晋泰らが中心となり朝鮮民俗学会が設立され,機関誌《朝鮮民俗》が刊行されている。東アジアにおける民俗学は,第2次世界大戦のため一時中断する形になったが,戦後は日本を含めて,比較民俗学の方向で交流が開始されている。

日本の民俗学研究は,一般に1914年,柳田国男,高木敏雄によって発刊された《郷土研究》をもって発祥としている。柳田国男以前にも,江戸時代・明治時代を通じて,地方の民俗的事実に対する知識人たちの関心があった。なかでも菅江真澄の旅行記や屋代弘賢による《風俗問状答》は,地方の民俗調査の嚆矢といえる内容をもっていた。1886年東京人類学会の結成と《人類学雑誌》刊行があり,この中で土俗学,土俗調査の表現がみられる。南方熊楠(みなかたくまぐす)らによる土俗学としての民俗研究の時期がつづき,明治40年代に至り,柳田国男の日向椎葉の狩猟伝承を記録した《後狩詞記(のちのかりことばのき)》(1909),佐々木喜善の話をまとめた《遠野物語》(1910),山中笑などとの往復書簡を集めた《石神問答》(1910)の3冊が公刊されたが,まだ民俗学の名称を用いていなかった。しかし《郷土研究》の主張は,後世の民俗学に接続するものであった。一方同時期に,石橋臥波による雑誌《民俗》が出され,本誌はイギリスのフォークロアを模倣したものとしているが,長続きしなかった。《郷土研究》につづき,折口信夫による《土俗と伝説》,柳田による《民族》,さらに折口らの《民俗学》と,試行錯誤の段階とはいいながら,民俗学関係の雑誌が相次いだことは注目される。いずれも4~5巻で休刊しているのも当時の特徴である。

 昭和10年代に,柳田によって日本民俗学の体系化が試みられた。それは《郷土生活の研究法》(1935),《民間伝承論》(1934),〈国史と民俗学〉(1935)の中で説かれている。柳田は,《郷土生活の研究法》の中で,郷土研究がフォークロアの学であることを述べている。また《民間伝承論》の中では,エスノロジー(民族学)との関係から民間伝承学という名称を用いている。土俗学の段階では,フォークロアとエスノロジーの区別はなかったが,郷土研究の段階で,民間伝承を採集する目的や方法に特徴があり,エスノロジーが文献重視の学問の方向をもつことと区別しようとする意識がみられる。やがて民俗学は一国民族学という規定に至るのである。それも,民俗の対象を有形文化,言語芸術,心意現象の3部門に分類し,第3部門の心意現象の究明に重点を置こうとした点に,後世柳田民俗学と称される特色があった。《国史と民俗学》においては,当時の国史学における政治史偏重を批判し,日常生活の歴史を再構成する民俗学の役割を強調している。

 日本民俗学の組織化の端緒は,1934年から始まった木曜会,35年に開催された日本民俗学講習会と,その直後に結成された〈民間伝承の会〉である。日本民俗学講習会の受講生を中心とする民間伝承の会や木曜会を軸とした合同の山村調査事業は全国的な民俗調査の最初であった。そして戦後,48年には民俗学研究所が,49年には日本民俗学会が設立された。柳田国男はつねに日本民俗学界をリードしていたが,第2次大戦直後の《先祖の話》(1946)と晩年の著作《海上の道》(1961)の2著は日本人の他界観を扱ったものであり,日本民俗学が究極の目標を日本人の世界観の究明に置いたことがわかる。

 なお,柳田民俗学があまり取り扱わなかった分野で重要な役割を果たした研究者に,アチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)を主宰し民具の収集研究や漁村史料の刊行などを行った渋沢敬三,盲人・性などをはじめ多岐にわたる問題を論じた中山太郎,福神・つきもの・被差別民などを集中的に扱った喜田貞吉民俗芸能や山村離島の詳細な民俗誌を作りあげた早川孝太郎らがいる。

 日本民俗学の研究方法には,各地の民俗資料を比較しつつ,伝承形態の前後関係を判断し,類型化をはかる重出立証法と,地域社会の民俗誌を徹底的に作成し,地域社会の独自の歴史像を再構成しようとする地域民俗学とがある。前者には,語彙や儀礼の分布を示す民俗地図が不可欠である。日本の民俗地図は,文部省文化庁の計画により,各府県の民俗地図をはじめとして,さらに全国規模のものも完成した。一方には,《綜合日本民俗語彙》全5巻が作成されており,それらの利用が期待されている。しかし後者の立場からは,民俗語彙にもとづく地図化・資料化は,それを生み出した地域社会の独自の歴史的条件を無視しているという批判がなされており,民俗学による地域研究の特性が提唱されている。なかでも南島研究は,地域研究の一環として蓄積があり(沖縄学),伊波普猷(いはふゆう)や,柳田,折口によって南島の民俗文化が紹介され,日本文化の中における位置づけが明らかにされた。

 日本民俗学の基礎概念には,〈常民〉と〈ハレとケ〉がある。常民は,文化概念としては水田稲作農耕民の日常生活文化を表現するものであり,実体概念としては,江戸時代の水田稲作民,すなわち江戸時代中期ごろの農民をさした。先祖伝来の土地を耕作し,祖先崇拝を行う百姓のイメージがある。これに対して非常民の存在に注目する視点があり,これは稲作に対する畑作農耕民,非農業民である職人などの文化をとらえる立場から,しだいに都市民俗の領域を別立させるまでに至った。一方ハレとケについても,ハレとケの二項対立とはせず,2者の間にケガレの概念を導入する見方も行われている。1963年の柳田国男没後の方向は,従来の柳田民俗学の見落としていた問題を再発見することによって,柳田民俗学を克服しようとする世代が誕生しつつある。83年に開設された国立歴史民俗博物館の民俗研究部の研究・展示活動には,そうした民俗学の新しい方向を示唆する方向が認められる。また台湾,韓国,東南アジアなどで比較民俗学の観点から実地調査を行ったり,ヨーロッパの村落を調査する試みも少しずつ現れてきた。
民具 →柳田国男
執筆者:

民俗学の基礎は19世紀に欧米で築かれたが,その基本的な姿勢は,民俗は過去の残存物であり,その採集研究を通して過去の歴史的再構成が可能になるというものであった。その民俗をになう常民folkも,定義上は上流階級エリートと対立するものとして,下層民,農民,読み書きできない人という意味をおびており,文明と未開野蛮の間の中間的位置を与えられていた。いわば民俗は文明社会における未開や野蛮の残存とも理解されたのである。こうした過去志向の民俗学は,多少の変更が加えられてはいるが,今日でも強い支持を受けている。しかしこの古い概念は,都市化や産業化が急速に進む中で,その存立基盤がしだいにゆるがされてきている。

 伝統が浅く,しかも多くの移民や原住民をもつアメリカでは,ヨーロッパ諸国のような民俗博物館はほとんどみられず,また祭礼や年中行事の研究は欠落している。複雑な民族構成や高度の文明化は,逆に斬新な視角を生んだり,新しい分野の開拓や常民,民俗概念の再検討などの基盤となった。とくに学校,病院,工場などの民俗を研究するモダン・フォークロアや都市民俗学の分野で注目すべき成果が多く現れている。そこでは,記号論や精神分析学を適用しながら,民俗は過去のものとしてだけでなく,現代の反映あるいは自己表現の行為としてとらえ,さらにたとえば民話ではテキストに加えて,語りの場や話し手と聞き手の相互交渉などのパフォーマンスが重視されてきている。またフォークロアに代わってさらに広い生活範囲を含むフォークライフfolklifeという用語が導入されつつある。このような新しい民俗学の成果の一部は,パーレーデースAmérico Paredes・バウマンRichard Baumann編《民俗学の新たなる視角Toward New Perspectives in Folklore》(1972),バスコムWilliam R.Bascom編《民俗学の最前線Frontiers of Folklore》(1977),ドーソンRichard M.Dorson編《現代の世界におけるフォークロアFolklore in the Modern World》(1978),ベン・アモスDan Ben-Amos・ゴールドスタインKenneth S.Goldstein編《フォークロア--パフォーマンスとコミュニケーションFolklore:performance and communication》(1975)などにみることができる。

 ヨーロッパでは,フランスを中心にレビ・ストロースの構造主義の影響を受けて,新しい方法によって,再び民俗研究を行おうとする動きがみられ,1971年にはキュゼニエJean Cuisenierが《フランス民族学Ethnologie française》を創刊して,民俗の記号論=象徴論的研究の立場を推進している。V.Ya.プロップの《民話の形態学》(1928)が,レビ・ストロースの神話の構造分析を契機に,数十年ぶりに各国で注目され,M.ポップ,A.ダンデスなどに継承された。こうした形態論的分析は,民話のほか,ことわざ,なぞなぞ,児童遊戯,迷信などの分野にも拡大応用されてきている。その成果にマランダ夫妻P.and E.K.Maranda《口頭伝承の構造分析》(1971)などがある。また,歴史人類学や社会史の研究の進展によって,心性や感情の歴史が注目され,これまでかえりみられなかった現象にも歴史的意義が見いだされるようになった。いわば歴史的世界の中に民俗を生き生きとした形で描き出すことが行われることになったのである。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「民俗学」の意味・わかりやすい解説

民俗学
みんぞくがく

民俗学は、文化の進んだ国あるいは民族について、一般庶民のつくりあげてきた文化の今日に至るまでの発展の模様を研究するものである。そのより古い文化の姿を知るについて、進んだ庶民生活のなかになお残っている古い文化の姿、いわゆる民俗とか民間伝承というものを尋ねてゆくことを特色とする。ときに民俗資料と対比される文献資料にも、その当時の民俗の一端を明らかにするものが数々あり、庶民生活の姿をその時代性とともに伝えてくれるもので、やはり民俗学の貴重な資料となる。いったい、文化の進歩は一国一民族のうちすべての人々に一様に現れるものではない。交通通信の目覚ましい進歩、教育の普及とともに地域差はしだいに縮まっているが、まだ都会と田舎(いなか)との間には大きな格差がある。都会地にはすでに消えた古い文化が、僻地(へきち)へ行くとまだ残っており、その姿をまざまざととらえることができる。僻地でも年若い人々より高年齢層のなかに古い文化の姿を探ることができる。

 こうして民俗学は一国一民族の文化発展の歴史を探るものであるが、民俗学の現代性を強調する人々も多い。民俗学は、民間伝承のなかでも現代になお強い勢力をもち、現代生活に大きな影響を及ぼしているようなものを取り扱うべきだとするものである。そのような民間伝承の研究がとくに貴重なことはいうまでもないが、現代生活の末端にかすかに生き続けるに至ったもので、現代生活の推移を理解するうえで無視しえないものがあり、そうした民俗の研究を民俗学の領域から排除することはできない。また民間伝承のなかには、現在に受け継がれておりながら、その意義の判然としないものが数多くあり、それらを多数集めて相互に比較考究することにより、文化発展のうえに有する意義が明らかになるものが少なくない。この種の考究は民俗学領域の重要な部分を占める。

 こうした民俗学が説くところの歴史は、従来の一般の歴史と比べ著しく異なるものである。在来の歴史研究では、たとえば衣食住のようなものでも、最上流の宮廷における姿、広壮な宮殿の造りや華麗な服飾のことなどこまごまと取り上げられた。文学や美術についても、傑出した巨匠の作品が論ぜられ、一般庶民に関心の深いものはとかく疎んぜられている。これに反し民俗学では、上流人士にかかわるものも無視はしないが、とくに力を注いで説くのは一般庶民の文化に関してである。そのため、民主化の進行とともに民俗学的な研究がますます尊重されている。

[最上孝敬]

民俗学の歴史

日本

日本民俗学成立の歴史をみると、個々の民俗に対する関心・研究はずいぶん古くからあり、各地に都市の発達をみた江戸時代、荻生徂徠(おぎゅうそらい)、本居宣長(もとおりのりなが)らの指導的学者は、都会地に消えた古来の姿がなお田舎にその影をとどめていることを説いて、地方研究の必要を説いた。江戸中期・後期の随筆類、『塩尻(しおじり)』『譚海(たんかい)』『甲子夜話(かっしやわ)』『松屋筆記(まつのやひっき)』等々は田舎(いなか)に残る伝承文化に注目しこれを考究している。そのほか橘南谿(たちばななんけい)の『西遊記(さいゆうき)』『東遊記(とうゆうき)』、古川古松軒(こしょうけん)の『東遊雑記』『西遊雑記』、司馬江漢(しばこうかん)の『西遊日記』、その半生を行旅のなかに過ごした菅江真澄(すがえますみ)の『真澄遊覧記』等、広い範囲にわたって残存する古い文化を数々記録している。そのほか屋代弘賢(やしろひろかた)の風俗問状による諸国民俗の調査も注目すべきものである。もっと狭い地域について細かに民俗の観察をしたものに釈敬順(しゃくけいじゅん)の『十方庵(じっぽうあん)遊歴雑記』、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』、赤松宗旦(そうたん)の『利根川図志(とねがわずし)』等々がある。維新後となると1884年(明治17)に東京大学の坪井正五郎を中心として東京人類学会が結成され、人類学雑誌が刊行されたが、そのなかに民俗の問題もしばしば論議され、僻地における民俗調査の報告も出ている。また1893年以来人類学会のなかに土俗学会ができ、若干の民俗について報告討議が何回か行われた。

 こうしたなかにおいて日本の民俗研究が一大躍進を遂げ、日本民俗学の成立をみたについては、柳田国男(やなぎたくにお)の超人的活躍によるところが大きい。もちろん多くの研究者の協力により、ことに文芸関係の透徹した研究をもって幾多の民俗研究者を育てた折口信夫(おりくちしのぶ)や、民俗学に対する深い理解をもって有能な研究者を指導援助した渋沢敬三らの働きも大きかった。柳田は官吏として初め農政に携わったことから、地方農山漁村民の生涯に大きな力を及ぼしている諸民俗の研究に至ったものと思われる。その旺盛(おうせい)な読書力をもってあらゆる関係古書を渉猟し、内閣文庫(現、国立公文書館所蔵)の浩瀚(こうかん)な貴重書もすべて彼の目に触れぬものはなかったといわれる。地方の視察、指導のため、全国各地に出張し、民俗の実情に触れる機会も多く、官途を辞し朝日新聞社に関係した際など、全国北から南までの大旅行に日々を送り、民俗の生きた姿に深く魅了された。こうしたなかで柳田は単独または共同編集の民俗専門誌『郷土研究』(1913)、『民族』(1925)、『島』等を刊行し、絶えず民俗各方面の研究を発表したばかりでなく、中央および地方で発行される民俗関係誌にも寄稿を続け、各地に催される研究会、談話会に出て民俗研究を督励し続けた。そのなかで1932、1933年(昭和7、8)のころ、研究者の集会で講述されたものが筆録されて、初めての日本民俗学の概説書『郷土生活の研究法』および『民間伝承論』(1934)となった。1934年からは数年にわたり門下生を動員して全国にわたる大規模な民俗調査を行い、また柳田自ら収集した民俗資料を整理し、各種の分類民俗語彙(ごい)を刊行して一般研究者の便に供した。1935年柳田の還暦を機会に集まった人々によって、日本民俗学の全国的組織、民間伝承の会が誕生し、月刊の機関誌『民間伝承』の発行が始まった。第二次世界大戦後の混乱期には柳田はその書斎を提供して民俗学研究所(1947)として研究体制を整え、民間伝承の会も日本民俗学会と改称(1949)し、機関誌もやがて四季刊の『日本民俗学』となった。研究所解散ののちは、日本民俗学会も柳田と関係深い成城大学に本拠を置いて、隔月刊『日本民俗学』の刊行を続けている。

 第二次世界大戦後はまた文化尊重の風に乗じ、文化財保護法が施行され、当時の文部省外局として文化財保護委員会が設けられ、国による文化財の指定が行われるようになった(のちに文化庁内の文化財保護部となり、さらに2001年の省庁再編に伴い文化財保護部は文化財部へと改組)。庶民文化の歴史を示す貴重な諸民俗も、初め重要民俗資料として、やがて民俗文化財として国の指定を受け、保護の対象とされた。古き姿そのままにとどめがたい無形民俗文化財については、詳細正確な記録作成に努めることとなった。同様の仕事は都道府県や市町村によってもそれぞれの文化財保護委員会によって行われた。このほか真に重要な民俗文化財を探索するため、全国都道府県に通ずる大規模な民俗調査が行われ、また地方庁による限られた地区内の精密な民俗調査も数々施行された。さらに地方庁による独自あるいは国の援助を受けての歴史・民俗博物館の設置が各地に行われ、1981年(昭和56)には国立の歴史民俗博物館も成立するに至って、民俗学の普及進展に大いに貢献している。

[最上孝敬]

外国

日本民俗学は、同音の民族学と区別するため、しばしばフォークロアfolkloreの民俗学といわれる。フォークロアは本来イギリスの民俗学の称で、19世紀のなかば1846年にウィリアム・ジョン・タムズW. J. Thomsが初めて使い出したことばである。従来、民間故事popular antiquitiesとよんでいたもの、すなわち俗信とか、なぞなぞ、伝説、昔話その他の口承文芸などを総称する親しみやすいことばとして案出されたものとされる。その字義は庶民の知識とでもいうべきもので、やがてそれらを研究する学問の名称ともなった。庶民の伝統的な心意現象を広く取り扱うが、物質文化にまでは立ち入らない風が久しくあった。その制約も20世紀に入ると除かれ、広く民俗を取り扱うものとなった。ただイギリスは長い間広大な植民地を領有し、多数の原始民族を抱えていた関係上、イギリス国民の民俗を説くにあたっても、原始民族の原始的文化を引き合いに出して説く風が顕著である。

 ドイツの民俗学はフォルクスクンデVolkskundeとよばれ、語義はフォークロアと同じであるがその翻訳ではなく、これを初めて庶民に関する学問の意味に使ったのは1858年に現れたリールW. H. Riehlの『科学としてのフォルクスクンデ』である。フォルクスクンデは主として大学の学者による攻究が盛んなためか、民俗資料を取り扱いながらその最終の目標を明確に説くものが多く、リールにあってはドイツ民族性の根本的特質の発見が強調される。またこれに反し、ドイツ民族精神を明らかにすることより、原始的非個人主義的な共同体の認識をもってフォルクスクンデの任務と説くナウマンH. Naumannのごとき主張もあれば、一民族の特性を探究するにとどまらず、民族的観念の形成、伝播(でんぱ)、推移にあたって働く精神的勢力を追究しようとするものなど多彩である。

 なおフォークロアなる学問はイギリス以外にも広く行われ、フランスなどでりっぱに民俗学の内容を備えたものとなっているが、北欧、アメリカおよびロシアでのフォークロアは、口承文芸その他民俗芸能を扱うものと解されている。これらの地域で完全な意味での民俗学は、民族学(エスノロジーethnology)または民族誌学(エスノグラフィーethnography)の限られた地域に関するものと解する人々がいる。民族学などは古くから発達していたが、本来原始民族に関する原始的文化の研究をするものであり、それも諸民族を広く観察してゆくのであるから、一国一民族のなかに生活しその言語習俗に十分なじんだ者が、その国その民族の研究をする民俗学とはいたく異なるものであった。しかし民族学者ものちになると、そのような粗放な研究方法から脱し、限られた一地域の研究にあたって、そこの住民の間に住み着きそこの言語に十分習熟したうえでの綿密な調査を長年にわたって行い、その結果を整理したうえで、他地域に関する同様な調査結果と比較考察するように進んでいる。とすれば、一地域に関する限り、民俗学をもって、民族学の限られた地域に関するものとの解釈も出てくるわけである。アメリカを中心として諸国に広まっている文化人類学、イギリスを中心として各地に行われている社会人類学などは、ヨーロッパ大陸に発達した民族学にほぼ該当するもので、民俗学は文化人類学、社会人類学の限られた地域に関するものということもできよう。

[最上孝敬]

『『民間伝承論』『郷土生活の研究法』(『定本柳田国男集25』所収・1964・筑摩書房)』『和歌森太郎著『日本民俗学』(1953・弘文堂)』『民俗学研究所編『民俗学研究』(1978・名著出版)』『柳田国男監修『民俗学辞典』(1951・東京堂出版)』『大塚民俗学会編『日本民俗事典』(1972・弘文堂)』


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百科事典マイペディア 「民俗学」の意味・わかりやすい解説

民俗学【みんぞくがく】

主に民間伝承を通して,民族の生活文化史を明らかにする学問。北ヨーロッパや英国では研究範囲をおもに口承文芸,民間信仰などに限り,ドイツやフランスでは広く民具などの物質文化,社会制度を含める。日本では民俗資料採集の見地から柳田国男の提案になる目で知る有形文化,耳で知る言語芸術,心で知る心意現象の3部分類がある。未開の多民族の比較研究である文化人類学や民族学(エスノロジー)に対し,文明民族の民間生活の研究,自民族の自己認識を民俗学とし,広義の文化人類学に含める説が有力。また歴史学とともに歴史の考究をするが,文献史料により事件を中心とする個別事象を問題にする傾向が強い歴史学に対し,民俗学は口伝えの伝承を含めて日常生活の慣習を対象にする。19世紀前半に研究が始まったフォークロアの訳語として,初め俚伝学,俗説学,土俗学の名で紹介され,柳田国男らにより確立発展させられた。
→関連項目伊波普猷折口信夫渋沢敬三常民鶴見和子中山太郎後狩詞記

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「民俗学」の意味・わかりやすい解説

民俗学
みんぞくがく
folklore; Volkskunde

民俗文化を内側から明らかにしようとする学問。現代生活のなかに伝承される文化がいかに表現され,いかなる形で存在し,またどのように推移してきたかを,同国人的,同時代人的な感覚のなかで見きわめ,さらにそれぞれの理由を追及しようとする。フォークロアの語は,1846年イギリスの好古家 W.トムズが用いて以来,そのような民間伝承による文化遺産とそれを研究する学問をさす言葉として広く各国語に採用された。イギリスでは,初めヨーロッパ諸国の農民の間に伝わる慣習も,非ヨーロッパ地域の民族のそれをも同列に民俗学として扱ってきたが,フランス,ドイツなどヨーロッパ諸国では,自地域の民族の調査研究を民俗学,それ以外の民族の調査研究を民族学と区別し,あるいは単数民族の研究を民俗学,複数民族の比較研究を民族学と呼びならわしてきた。日本でも同じ傾向がみられる。アメリカなど新移住の国では,独自の文化伝統が浅かったため,民謡など口承文芸の研究に主眼をおき,ヨーロッパ諸国や日本の民俗学で扱っているような広い分野の研究は,文化人類学の名のもとに行われることが多い。それぞれの国情によって,研究分野や対象に若干の相違がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「民俗学」の解説

民俗学
みんぞくがく

伝承的な庶民の日常生活を対象にして,民俗文化の特質を究明することを目的とする学問。研究素材は民間に伝承されている資料が中心で,有形・無形を問わない。聞書き,文献記録,絵画・映像資料など,民間伝承を語る形態は豊富にあり,日本の民俗学は,それらの資料を数多く記録化してきた。19世紀後半に欧米で発達した学問で,英語のfolkloreやドイツ語のVolkskundeは,民間伝承を意味する語として使用される。日本では,ほぼ同時期に国学の一部として注目されていたが,のちに柳田国男の郷土研究に引き継がれ,一国民俗学を唱えてスタートした。歴史学や文化人類学(民族学)と重なる領域もかなり多い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「民俗学」の解説

民俗学
みんぞくがく

民間伝承・風習・祭礼などの研究から民衆の生活文化を研究する学問
イギリスではフォークロア,ドイツではフォルクスクンデと呼ばれ,民間伝承を意味する。日本では柳田国男によって創始され,体系化された。歴史学や民族学(文化人類学)と重なる領域も多い。

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世界大百科事典(旧版)内の民俗学の言及

【フォークロア】より

…イギリスにおいては民衆が保持している古い習俗,信仰などは,当初ギリシア・ラテン的あるいはドルイド教的異教の文化の〈残存〉と考えられ,フォークロアも長い間〈残存の科学〉と定義されてきた。これには同じころ学問として成立した民族学社会人類学の影響も強い。当初フォークロアは民族学,社会人類学と境界がはっきりせず,イギリスでは結局,社会人類学に吸収されることになった。…

※「民俗学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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