毛利元徳(読み)もうりもとのり

改訂新版 世界大百科事典 「毛利元徳」の意味・わかりやすい解説

毛利元徳 (もうりもとのり)
生没年:1839-96(天保10-明治29)

長州藩世子,山口藩知事。支藩徳山藩に生まれ長州藩主毛利敬親の養子となる。騄尉,広封,定広と名のり,長門守を称した。諡(おくりな)は忠愛公。幕末政争に敬親とともに活躍し,1864年(元治1)の禁門の変に兵を率いて上京したが,敗戦を聞いて途中から帰国した。68年(明治1)新政府の議定となり,翌年家督を継いで山口藩知事となり,第十五銀行頭取なども務めた。
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朝日日本歴史人物事典 「毛利元徳」の解説

毛利元徳

没年:明治29.12.23(1896)
生年:天保10.9.22(1839.10.28)
明治維新期の長州(萩)藩の世子。名は定広,広封,元徳。通称は,驥尉,長門守。支藩徳山藩主毛利広鎮の10男として生まれ,安政1(1854)年本藩の世子となり,定広と改名。文久2(1862)年尊攘の藩是によって京都で活動し,同3年下関の外国艦を砲撃した。元治1(1864)年上京中,禁門の変での藩の敗報を聞いた。慶応3(1867)年討幕のために島津忠義と会見,王政復古後,議定に任じた。明治2(1869)年家督を相続,版籍奉還により,山口藩知事となる。のち第十五国立銀行の頭取,取締役,また貴族院議員になる。諡は忠愛。

(井上勝生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利元徳」の解説

毛利元徳 もうり-もとのり

1839-1896 明治時代の大名,華族
天保(てんぽう)10年9月22日生まれ。毛利広鎮(ひろしげ)の10男。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利敬親(たかちか)の養子となり,藩主の名代として尊攘(そんじょう)運動に従事。明治2年家督をついで周防山口藩主毛利家2代(14代萩藩主)となった。のち公爵,貴族院議員。明治29年12月23日死去。58歳。初名は広封。諡(おくりな)は忠愛公。

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