比内郡(読み)ひないぐん

日本歴史地名大系 「比内郡」の解説

比内郡
ひないぐん

現大館市および現北秋田郡の一部に比定される中世の郡名。肥内とも記される。

吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月三日条に「泰衡被数千軍兵、為一旦命害(中略)恃数代郎従河田次郎、到于肥内郡贄柵之処」とみえる。建郡の時期は不明だが、平安末期には成立していたと思われる。鎌倉―南北朝期および戦国を通じ陸奥国に属し、元弘四年(一三三四)二月の北畠顕家国宣(南部文書)にも「陸奥国比内」とあり、文和三年(一三五四)一二月の沙弥浄光譲状(新渡戸文書)にも「奥州比内郡」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報