はは【母】
[1] 〘名〙 (「はわ」の時代も)
① 親のうちの女の方。生んだり、育てたりしてくれた女親。実母・養母・継母の総称。母親。
おんなおや。めおや。
※続日本紀‐天平元年(729)八月二四日・宣命「此の間に、天つ位に、嗣坐(つぎます)べき次と為て皇太子(ひつぎのみこ)侍りつ。是に由りて其の婆婆(ハハ)と在(いま)す藤原夫人を皇后と定賜ふ」
※伊勢物語(10C前)一〇「父はなほびとにて、ははなん藤原なりける」
※
古本説話集(1130頃か)五六「はわにとへとおほせらる」
※アパアトの女たちと僕と(1928)〈龍胆寺雄〉六「義母(ハハ)も義姉(あね)たちも」
② 物事を生み出すもととなるもの、また、人。
※続日本紀‐宝亀五年(774)四月己卯「其摩訶般若波羅蜜者、諸仏之母也」
※西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉五「蓋し窮困は創造の母なり」
[語誌](1)ハ行子音は、語頭ではp→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。これに従えば、「はは」は
papa → ΦaΦa → Φ
awa → hawa となったはずで、実際、ハワの形が中世に広く行なわれたらしい。仮名で「はは」と書かれたものの読み方がハハなのかハワなのかは確かめようがないが、すでに一二世紀の初頭から(一)①の挙例「古本説話集」など、「はわ」と書かれた例が散見されるから、川のことを「かは」と書いてカワと読むごとく、「はは」と書いてハワと読むことも少なくなかったと考えられる。キリシタン資料を見ると、「
日葡辞書」では Fafa
(ハハ)と Faua
(ハワ)の両形が
見出しにあるが、「天草本平家」などにおける実際の用例ではハワの方が圧倒的に多い。
(2)一七世紀初頭までは優勢だったハワが滅んで、現代のようにハハの形のみが用いられるようになったのには、次のようないくつかの原因が考えられる。(イ)他の
親族名称、チチ・ヂヂ・ババからの類推が働いた。すなわち、これらの親族名称は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハである。(ロ)
江戸時代には、日常の口頭語で母を意味する語としては、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供が小さいときに耳で覚える語ではなく、大人になってから習得する語になっていった。(ハ)江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による。
おも【母】
〘名〙
① はは。
※万葉(8C後)二〇・四四〇一「韓衣(からころむ)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや意母(オモ)なしにして」
② 乳母(うば)。乳を飲ませる者。ちおも。めのと。
※万葉(8C後)一二・二九二五「緑児の為こそ乳母(おも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が於毛(ヲモ)求むらむ」
[語誌]上代語であり、中古以降は「おもとじ」など複合語の構成要素にのみ見られる。東国では「おも」「おもちち」とともに「あも」「あもしし」「あもとじ」の形が見える。
あも【母】
〘名〙 上代語。母。おも。
※書紀(720)雄略二三年八月・歌謡「道に闘(あ)ふや 尾代(をしろ)の子 阿母(アモ)にこそ 聞えずあらめ 国には 聞えてな」
[語誌](1)「書紀‐歌謡」の例のほかは「
万葉集」では
防人歌に見えるところから、「おも」の古形が
東国方言に残ったと見られる。
(2)
中央語「ちちはは」に対する「あもしし」あるいは「おもちち」は、母が先にくるところから、古代母系制の名残と見る説もある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「母」の意味・読み・例文・類語
おも【▽母】
1 はは。
「韓衣裾に取り付き泣く子らを置きてそ来ぬや―なしにして」〈万・四四〇一〉
2 乳母。ちおも。
「みどり子のためこそ―は求むといへ乳飲めや君が―求むらむ」〈万・二九二五〉
はは【母】[書名]
《原題、〈ロシア〉Mat'》ゴーリキーの長編小説。1907年刊。労働運動を繰り広げる息子とその友人の影響を受けた母親が、階級意識に目覚めて革命運動に加わっていく過程を描く。
あも【▽母】
「はは」をいう上代語。おも。
「―にこそ聞こえずあらめ」〈雄略記・歌謡〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
母 (はは)
Mat’
ゴーリキーの長編小説。1906年アメリカで第1部が,翌07年初めにイタリアのカプリ島で第2部が書かれた。最初は1906-07年にニューヨークの《アップルトン・マガジンAppleton Magazine》誌に英訳で発表され,ついで07-08年に検閲でかなりの削除を受けて本国ロシアの《ズナーニエ》文集に連載された。単行本(ロシア語)は1907年ベルリンで刊行された。1901年から02年にかけてニジニ・ノブゴロド(現,ゴーリキー)市とその近郊のソルモボで起きた労働運動に基づいて書かれた小説である。貧しい工場労働者パーベルが革命運動に加わることを恐れていた単純で信仰心のあつい文盲の母ニーロブナは,やがて息子の同志たちの誠実さや犠牲的な精神を理解すると,自らも進んで運動に参加する。レーニンは原稿の段階で読み,07年にロンドンで初めて会ったゴーリキーに,革命運動のためには〈きわめて時宜に適した本である〉と語った。ゴーリキー自身がしばしば語っているように,《母》は文学的には失敗作であったが,革命運動を初めて全体的に取り上げた〈時宜を得た〉作品として世界中の読者の心に訴え,記録的なベストセラーとなり,プロレタリア文学の範例として大きな影響を与えた。なお,32年ブレヒトにより劇化された。
執筆者:川端 香男里
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
母【はは】
ゴーリキーの長編小説。《Mat'》。1907年作。1902年のストライキ事件に取材した作品で,メーデーのデモに参加して逮捕された青年労働者パーベルの母親ニーロブナが,革命的信念に目ざめていく過程を描く。レーニンに激賞され,長らく社会主義リアリズムの草分け的作品と評価された。1926年プドフキン監督によって映画化。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
母
はは
Mat'
ソ連映画。 1926年作品。監督フセボロド・プドフキン。脚本ナターン・ザルヒ。ゴーリキーの著名な原作の映画化。プドフキンの長編劇映画第1作であり,これによって彼の名はエイゼンシュテインと並び国際的になった。モスクワ芸術座の俳優ベラ・バラノフスカヤが母親役を,同じくニコライ・バターロフが息子役を演じており,画面は音楽的な連結 (モンタージュ) を見せている。
母
はは
Mat'
ロシア,ソ連の作家 M.ゴーリキーの長編小説。 1907年発表。 02年のニジニー・ノブゴロドの労働者運動における実在の人物や事件に取材した小説で,D.フールマノフ,A.オストロフスキーらに大きな影響を与えた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
母
1963年公開の日本映画。監督・原作・脚本:新藤兼人、撮影:黒田清巳。出演:乙羽信子、杉村春子、高橋幸治、加藤武、殿山泰司、頭師佳孝、横山靖子ほか。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報