死の島(読み)シノシマ

デジタル大辞泉 「死の島」の意味・読み・例文・類語

しのしま【死の島】

福永武彦長編小説。昭和41年(1966)から昭和46年(1971)、雑誌文芸」で断続的に連載単行本は昭和46年(1971)、上下2巻を刊行。昭和47年(1972)、第4回日本文学大賞受賞。

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改訂新版 世界大百科事典 「死の島」の意味・わかりやすい解説

死の島 (しのしま)

福永武彦の長編小説。1966-71年《文芸》に連載。72年,上・下2巻にわけて河出書房新社刊。編集者で作家志望の相馬鼎,画家原爆にあって九死に一生を得た萌木素子,その友達で,同棲した男に絶望して自殺をこころみたことのある相見綾子を主要人物として,人間の生の根源を探った作品。相馬がつとめに出たところへ女友達の素子と綾子が自殺した知らせをうけて広島へ向かう。相馬が明け方に夢をみてから,翌日の明け方に広島に着くまでの24時間が小説の現在になるが,そこへ過去の時間が順序不同に挿入され,最後には三つの結末があって読者の想像力を参加させる。綿密な方法意識で書かれた,現代小説の秀作
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「死の島」の意味・わかりやすい解説

死の島
しのしま

福永武彦(たけひこ)の長編小説。1966年(昭和41)1月から71年にかけて『文芸』に断続連載。71年、上下2巻として河出書房新社刊。作家志望の編集者相馬鼎(そうまかなえ)が悪夢から覚め、勤めに出ると、女友達の萌木素子(もえぎもとこ)と相見綾子(あいみあやこ)の自殺の知らせを受け、広島に赴く。その翌朝までの24時間が、現在の時間として軸となり、そこに過去の時間が順序不同に入ってくるという複雑な構成がとられている。素子は原爆にあって人間への絶望感にとらわれており、綾子も愛する男に深い挫折(ざせつ)感を抱きかつても自殺を試みたことがあった。相馬はこの2人を公平に愛していたが、公平ゆえに救うことはできなかった。死と生を主題に、人間の内的世界の根源を探ろうとする、実験的な長編小説である。

中石 孝]

『『死の島』上下(新潮文庫)』

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デジタル大辞泉プラス 「死の島」の解説

死の島

スイスの画家アルノルト・ベックリンの絵画(1880)。原題《Die Toteninsel》。暗い空の下、小舟が墓のある島に向かう情景を神秘的、幻想的に描いたもの。象徴主義世紀末芸術の画家ベックリンの代表作。同じ画題の作品が複数存在する。バーゼル美術館所蔵。
②ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフの交響詩(1909)。①に着想を得て作曲された。

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世界大百科事典(旧版)内の死の島の言及

【原爆文学】より

…第3は,原爆がもたらした悲劇を庶民の日常生活をとおして書き,文学史に残る傑作と称される井伏鱒二の《黒い雨》(1965‐66)のように,被爆者ではないが,広島,長崎と出会った良心的な文学者たちによって,さまざまな視点から広島,長崎,原水爆,核時代がもたらす諸問題と人間とのかかわりを主題とする作品が書かれた。作品に佐多稲子《樹影》(1970‐72),いいだもも《アメリカの英雄》(1965),堀田善衛《審判》(1960‐63),福永武彦《死の島》(1966‐71),井上光晴《地の群れ》(1963),《明日》,高橋和巳《憂鬱なる党派》(1965),小田実《HIROSHIMA》(1981)などがある。なかでも特筆すべきは大江健三郎(1935‐ )の存在で,1963年に広島に行き《ヒロシマ・ノート》(1964‐65)を発表して以来,〈核時代に人間らしく生きることは,核兵器と,それが文明にもたらしている,すべての狂気について,可能なかぎり確実な想像力をそなえて生きることである〉とする核時代の想像力論を唱え,《洪水はわが魂に及び》(1973),《ピンチランナー調書》(1976),《同時代ゲーム》(1979),《“雨の木(レインツリー)”を聴く女たち》(1982)などの作品を書き,国内だけでなく外国でも高く評価された。…

※「死の島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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