日本大百科全書(ニッポニカ) 「歴史小説」の意味・わかりやすい解説
歴史小説
れきししょうせつ
歴史小説とは、「歴史」と「小説」との複合概念である。できごと(事件)は一回性・非反復性をもちながら連続している。歴史学ではその事件や記録の断片を通して、関連性や必然性、運動体としての原則・法則といった普遍的な歴史の本質をとらえつつ、過去の世界を再構築する。文学では歴史の本質の把握にあたって、歴史学と同様の史料操作をしつつも、想像力を駆使し、事件や人物を過去のあったであろう事象(世界)や時代のなかに構成する。これが歴史小説である。また今日では、現代的主題を過去の時間や歴史的素材の衣装をまとって表現したテーマ小説まで含めてよんでいる。
[山崎一穎]
歴史小説の性格
E・ゴンクールは、「歴史とは過去にあった小説であり、小説とは、ありえたかも知れぬ歴史である」(日記)といい、ルカーチは『歴史文学論』のなかで、「歴史的大事件の再述ではなく、これらの諸事件に参加した人々の姿の芸術的手段による再興で」あり、「現在の前史としての過去の復活である」と規定している。
わが国において歴史小説の基本的性格づけをしたのは、坪内逍遙(しょうよう)をもって嚆矢(こうし)とする。逍遙は『小説神髄』(1885~86)の「時代小説の脚色」において、歴史小説の目的は「正史の欠漏」と「風俗史の欠漏」を補綴(ほてい)することであると述べ、「年代の齟齬(そご)」「事実の錯誤」「風俗の謬写(びゅうしゃ)」はあってはならないと主張する。さらに、「歴史小説に就いて」(1895)で、時代の雰囲気や人物の性格を明確にすることであるといい、衣装(コスチューム)として歴史を利用した小説を「抒情(じょじょう)的歴史小説」と呼称し、歴史と無関係であると主張する。
これに対して、逍遙と「歴史劇・歴史画論争」を展開する高山樗牛(ちょぎゅう)は、逍遙説は「歴史を主として芸術を客とする説」で、あまりに歴史解釈が窮屈であると反論する。逍遙の客観本位に対して、樗牛の主観本位は、史的実証性と芸術的創造性をめぐる歴史小説の本質論として、森鴎外(おうがい)の『歴史其儘(そのまま)と歴史離れ』(1915)という歴史小説の方法の先蹤(せんしょう)となっている。
[山崎一穎]
外国
歴史小説は19世紀に成立した文学形式で、イギリスの小説家W・スコットが祖といわれる。スコットの『アイバンホー』(1819)、『ケニルワースの城』(1821)、デュマ(父)の『モンテ・クリスト伯』(1844~45)などは、歴史を舞台にしながらも、史実無視によるロマンである。次の段階に進むと、哲学的談理による歴史の再現を目ざしたリットンの『リエンジ』(1835)、サッカレーの『バージニアンズ』(1857~59)、フロベールの『サランボー』(1862)がある。さらに、歴史を再現しながら、人間とその運命をダイナミックに叙述した歴史小説には、L・トルストイの『戦争と平和』(1863~69)、シェンキェビッチの『クオ・バディス』(1896)、A・K・トルストイの『白銀公爵』(1863)、A・N・トルストイの『ピョートル一世』(1929~44)、ショーロホフの『静かなドン』(1928~40)、トロワイヤの『この世の続く限り』(1947~50)がある。
[山崎一穎]
日本
わが国の歴史小説は、明治新文学の一ジャンルであり、矢野龍渓(りゅうけい)『斉武名士経国美談』(1883~84)、藤田鳴鶴(めいかく)『済民偉業録』(1887)にその胚種(はいしゅ)をみる。歴史小説は明治20年代の民友社の史論や伝記文学の刊行と軌を一に発展する。山田美妙(びみょう)、矢崎嵯峨(さが)の屋、幸田露伴、宮崎三昧(さんまい)、村井弦斎(げんさい)、渡辺霞亭(かてい)、村上浪六(なみろく)らが筆をとったが、それらは概して主情的・外的な歴史ロマンであった。「外的、ロマンチック、客観的」(柳田泉(いずみ))歴史小説の大成者は塚原渋柿園(じゅうしえん)である。『山崎合戦』(1894)、『由井正雪』(1897~98)、『侠足袋(きゃんたび)』(1902)、『淀殿(よどどの)』(1905~06)、明治期最大の収穫である『天草一揆』(1906)が代表作である。さらに、美妙の『二郎経高(つねたか)』(1908)、『平重衡(しげひら)』(1910)、小杉天外(てんがい)の『伊豆の頼朝(よりとも)』(1912)、大倉桃郎(とうろう)の『江戸城』(1911~12)、『萬石(まんごく)浪人』(1914)など評価できる作である。しかし、これらの作は内面描写、史実の解釈に踏み込みかけているが、歴史叙述(史料)への接近の仕方、歴史意識の点で、大正期の鴎外の諸作をまたねばならない。
大正期の歴史小説は、鴎外と芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)に代表される。鴎外は史実を重んじ、その史実に潜む歴史の必然性を分析し、過去を客観的に再現する「歴史其儘(そのまま)」とよばれる方法で『興津弥五右衛門(おきつやごうえもん)の遺書』(1912)、『阿部一族』(1913)、『護持院原(ごじいんがはら)の敵討(かたきうち)』(1913)を発表。やがて、史実の束縛から自由でありたいと『山椒大夫(さんしょうだゆう)』(1915)、『高瀬舟』(1916)、『寒山拾得(かんざんじっとく)』(1916)等の「歴史離れ」の諸作を発表。この二系列のみごとな融合が、儒学共同体の倫理のなかで「修養」に支えられた「型」を体現した近世考証学者の伝記『渋江抽斎(ちゅうさい)』(1916)である。龍之介は鴎外の「歴史離れ」を徹底させ、舞台と素材を過去に借り、現代的主題を付与するという方法で『尾形了斎(おがたりょうさい)覚え書』『忠義』『古千屋(こちや)』(いずれも1917)を発表。菊池寛も『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(1918)を発表。いずれも主観の投影の濃厚な観念的歴史小説であり、ついに鴎外を超ええていない。
昭和期に入って、鴎外の『渋江抽斎』と拮抗(きっこう)する作として、島崎藤村の『夜明け前』(1929~35)、本庄陸男(ほんじょうむつお)の『石狩川』(1938~39)、江馬修(えまなかし)の『山の民』(1938~40)、安岡章太郎の『流離譚(りゅうりたん)』(1976~81)をあげる。いずれも維新の激動期の「ファミリー・ヒストリー」である。時代の波に翻弄(ほんろう)される人間の運命がみごとに浮き彫りにされ、同時に維新の本質を鋭くついている。第二次世界大戦後は、田宮虎彦(とらひこ)の『霧の中』(1947)、『落城』(1949)、中山義秀(ぎしゅう)『咲庵(しょうあん)』(1963~64)、井上靖(やすし)『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(1957)、大仏(おさらぎ)次郎『パリ燃ゆ』(1961~63)、臼井吉見(うすいよしみ)『安曇野(あずみの)』(1964~74)、司馬遼太郎(しばりょうたろう)『胡蝶(こちょう)の夢』(1976~79)、大岡昇平『堺港攘夷(さかいこうじょうい)始末』(1984~89)など注目すべき作が生まれている。
[山崎一穎]
『ゲオルグ・ルカーチ著、山村房次訳『歴史文学論』(1938・三笠書房)』▽『ピーター・ゲイ著、鈴木利章訳『歴史の文体』(1977・ミネルヴァ書房)』▽『柳田泉著「歴史小説研究」(『続随筆明治文学』所収・1938・春秋社)』▽『岩上順一著『歴史文学論』(1942・中央公論社)』▽『桑原武夫著『歴史と文学』(1951・新潮社)』▽『榊山潤・尾崎秀樹編『歴史文学への招待』(1961・南北社)』▽『尾崎秀樹著『歴史文学論』(1976・筑摩書房)』▽『植村清二著『歴史と文芸の間』(1977・中央公論社)』▽『菊地昌典著『歴史と文学』(1979・筑摩書房)』▽『尾崎秀樹・菊地昌典編『歴史文学読本』(1980・平凡社)』▽『津上忠著『歴史小説と歴史劇』(1982・新日本出版社)』▽『三瓶達司著『明治歴史小説論叢』(1987・新典社)』▽『田宮虎彦著『歴史小説について』(『鷺』所収・1953・和光社)』▽『司馬遼太郎著『歴史と小説』(1969・河出書房新社)』▽『井上靖著『歴史小説の周囲』(1973・講談社)』▽『大岡昇平著『歴史小説の問題』(1974・文芸春秋)』