精選版 日本国語大辞典 「武野紹鴎」の意味・読み・例文・類語
たけの‐じょうおう【武野紹鴎】
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(戸田勝久)
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戦国時代の堺(さかい)の豪商、茶の湯名人。若狭(わかさ)守護武田氏の後裔(こうえい)で、父信久のとき堺に来住したと伝えるが、不詳。名は新五郎、仲材といい、居士(こじ)号を一閑(いっかん)と称す。舳松(へのまつ)町に住み皮革を家業とした。30歳までは連歌(れんが)師であったといい、その間1528年(大永8)3月以来、当代の代表的な文化人であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に師事して古典を学び、『詠歌大概(えいがのたいがい)』(藤原定家(ていか)著、歌論書)の序の部分の講釈を受けていたとき、茶の湯について悟るところがあったという。京都では下京(しもぎょう)四条、夷堂(えびすどう)の隣に居を構え大黒庵と号した。連歌師心敬(しんけい)の説く枯淡の美を茶の湯に取り入れ、四畳半茶室を基本とする草庵茶の湯の発展に指導的な役割を果たしたが、名物道具を多数所持したことからもうかがわれるように、わび茶への過渡期に位置づけられる。女婿(じょせい)の今井宗久(そうきゅう)をはじめ、津田宗及(そうきゅう)、田中宗易(千利休(せんのりきゅう))らの師。和泉(いずみ)南宗寺の大林宗套(だいりんそうとう)に参禅し、これが茶人参禅の風を生む一方、茶禅一味(ちゃぜんいちみ)が説かれるようにもなった。天文(てんぶん)24年10月没。享年54。墓は南宗寺境内にある。
[村井康彦]
1502~55.閏10.29
戦国期の茶人,堺の豪商。堺流茶の湯の開祖。名は仲材(なかき)。通称新五郎。武野氏は若狭国の守護武田氏の後裔で,父信久は諸国を流浪したのち堺に住み,姓を武野として,武具作製の皮革業を営んで財をなしたという。紹鴎は,歌道・連歌に堪能で,24歳で三条西実隆に和歌を学び,村田珠光(じゅこう)門下の藤田宗理や十四屋(じゅうしや)宗伍などに茶の湯を学んだという。実隆の「詠歌大概」(藤原定家)の序の講義をきいて茶道の極意を悟ったという。彼は和歌の心を茶の心に生かし,唐様趣味を和様に転化するなどの工夫を行った。晩年京都四条に草庵大黒庵を設け茶事に専念した。2畳・3畳の小間の茶室,竹の茶入や茶杓などを創案し,それまでの茶の湯の姿を大きく変化させた。弟子に嗣子の宗瓦(そうが),女婿の今井宗久をはじめ,津田宗及(そうぎゅう)・千利休・松永久秀など多数。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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