武蔵野(東京都・埼玉県)(読み)むさしの

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

武蔵野(東京都・埼玉県)
むさしの

東京都と埼玉県の南部にわたって広がる洪積台地。北西は荒川の支流入間川(いるまがわ)、北東は荒川、南は多摩川で境され、東西の長さ約50キロメートル。東京都青梅(おうめ)市の中心市街地を要(かなめ)として扇状に広がり、標高は青梅の約180メートルから順次低下し山手台地(やまのてだいち)の東縁部で20~40メートルである。なお、多摩湖、狭山(さやま)湖のある狭山丘陵は一段と高く、波状の起伏があり、多摩丘陵と共通の地形、地質をもっている。

沢田 清]

自然

武蔵野台地は青梅を扇頂とする扇状地状の地形であるが、下末吉(しもすえよし)、武蔵野、立川(たちかわ)の各段丘面に分かれる。下末吉面は約12万~13万年前に形成された海成層からなる浅海の海底面が隆起したもので、東京の淀橋(よどばし)、荏原(えばら)、田園調布の各台地に続き、高さは30~60メートルである。武蔵野面は台地の大部分を占め、6万~10万年前に形成、古多摩川の隆起扇状地である。標高は東京で20~40メートルで下末吉面よりは低い。立川面は国分寺崖線(がいせん)とよぶ明瞭(めいりょう)な段丘崖で境され、1万~2万年前に形成されたものである。台地は富士山の火山灰からなる関東ローム層が厚さ約20~30メートルで表面を覆っている。このローム層に由来する褐色でほこりっぽい赤土が特色で、乾燥すれば黄塵(こうじん)となって天を覆い、雨天では泥まみれになり、冬には霜柱がたつ。また、地下水面が低く乏水性で、農地として開発されにくく、古くはシイカシなどの照葉樹林(常緑広葉樹林)が覆っていたと推定される。

 台地は井の頭(いのかしら)池を通る南北線を境とし、以東が山手台地とよばれ、多くの侵食谷があり、その崖(がけ)の湧水(ゆうすい)は池となって緑地を提供している。

[沢田 清]

開発

古くは牧野で、一部は焼畑耕作されたが、原野のまま残されていた。「むさしの」の「さし」は焼畑を意味するともいわれている。本格的な開発は江戸時代からで、1654年(承応3)江戸の上水道として開かれた玉川上水、およびその分水の野火止用水(のびどめようすい)(1655)、千川用水(せんかわようすい)(1696)などの用水路が開かれてから、砂川(すながわ)、小平(こだいら)などの新田集落が開発された。この新田村は街道沿いの短冊型地割によって屋敷とケヤキなどの屋敷森、畑、山とよぶ原野が配列される街村型の特色をもっている。しかし、ハケとよぶ崖は湧水に恵まれ、国分寺や野川(のがわ)の水田耕作など古くから開発されていた。台地は高燥な平坦(へいたん)面で住宅地として適しており、明暦(めいれき)の大火(1657)後、吉祥寺や連雀(れんじゃく)町(三鷹(みたか)市)など江戸から移転して町をつくったが、関東大震災、さらに第二次世界大戦を機として都市化が急激に進み、多くの衛星都市が発達し、東京の都市圏として武蔵野は大きく変化した。都市化には中央本線や多くの私鉄が大きく影響し、東京と結ぶ東西方向の交通が発展しているのに比べ、南北方向の交通は遅れている。都市化のなかで、井の頭自然文化園、善福寺池(ぜんぷくじいけ)や石神井池(しゃくじいいけ)の緑地、神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)などは古い武蔵野のおもかげを残し、都民のレクリエーション地として親しまれている。

[沢田 清]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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