武林無想庵(読み)たけばやしむそうあん

百科事典マイペディア 「武林無想庵」の意味・わかりやすい解説

武林無想庵【たけばやしむそうあん】

小説家,翻訳家。本名,磐雄,のち盛一。札幌市生れ。東大英文科中退。辻潤らとともに大正期のデカダンスダダイスムを代表する存在。自らの放浪,放蕩生活を赤裸々に綴った《性欲触手》などを発表。フランスに渡り漂泊,その際の奔放かつ頽廃した生活は《〈Cocu〉のなげき》《飢渇信》などで描かれている。晩年失明し,口述筆記で《むさうあん物語》をものした。翻訳は初期にドーデ《サフオ》,アルツィバーシェフサーニン》,後にゾラなども多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武林無想庵」の意味・わかりやすい解説

武林無想庵
たけばやしむそうあん
(1880―1962)

小説家、翻訳家。札幌生まれ。本名盛一。4歳のとき養子となり上京。旧制一高から東京帝国大学英文科に進み、1903年(明治36)小山内薫(おさないかおる)らと『七人』を創刊国文科に移ったが中退。大正に入ってから雑誌『モザイク』に拠(よ)る。ドーデの『サフォ』やアルツィバーシェフの『サニン』を訳了。大正期のダダイズム思潮に応じ、辻潤(つじじゅん)と交わり、20年(大正9)から渡欧、帰国を挟み、以後しばしば渡欧、虚無退廃に身をゆだねた。主著『性慾(せいよく)の触手』(1922)、『文明病患者』(1923)、『無想庵独語』(1948)など。翻訳にゾラの『大地』、バルビュスの『耶蘇(やそ)』がある。流転と飢渇のなかに魂の自由を追った特異な文学者である。

[助川徳是]

『『むさうあん物語』全41巻・口述(1957~67・無想庵の会)』『『現代日本文学大系32 武林無想庵他集』(1973・筑摩書房)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武林無想庵」の解説

武林無想庵 たけばやし-むそうあん

1880-1962 明治-昭和時代の小説家,翻訳家。
明治13年2月23日生まれ。36年小山内薫(おさない-かおる)らと同人誌「七人」を創刊。ダダイスト辻潤(じゅん)らとまじわる。大正9年中平文子と結婚し渡仏,以後離婚にいたる放浪生活を「性慾の触手」「飢渇信」などにえがく。戦後共産党に入党。昭和37年3月27日死去。82歳。北海道出身。東京帝大中退。旧姓三島。本名は磐雄,のち盛一。著作に「むさうあん物語」,訳書にドーデ「サフォ」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武林無想庵」の意味・わかりやすい解説

武林無想庵
たけばやしむそうあん

[生]1880.2.23. 札幌
[没]1962.3.27. 東京
小説家,翻訳家。本名,磐雄。東京大学英文科中退。虚無的,性愛的な作品を翻訳,A.ドーデの『サフォ』 (1913) ,M.アルツイバーシェフの『サニン』 (14~16) などを出版。 17年間のヨーロッパ生活を通じダダイスムを実践した。晩年失明した。代表作『ピルロニストのやうに』 (20) ,『飢渇信』 (30) ,『無想庵独語』 (48) ,口述筆記による『むさうあん物語』 (57~69) 。

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