武州河越御領分明細記(読み)ぶしゆうかわごえごりようぶんめいさいき

日本歴史地名大系 「武州河越御領分明細記」の解説

武州河越御領分明細記(河越御領分明細記)
ぶしゆうかわごえごりようぶんめいさいき

一冊

写本 尾崎征男

解説 元禄七年から宝永元年まで在城した柳沢吉保時代の明細記。表紙には元禄一五年仲春写とあるが、巻頭の川越城の規模と支配概略の記述では、秋元喬知の入部直後の宝永二年まで記されているので、実際の筆写年は元禄一五年を下るものとみられる。しかし当記に記された拝領高九万二千三〇石は元禄一〇年から同一五年までの吉保の拝領高で、村名・村高は元禄一五年成立の元禄郷帳とも一致する。なお同一二年検地が実施されたが、当記では村高は拝領高のままとし、検地出高は「外」として記す。城下町の記述が詳しく、各町ごとの間数・家数・店数・人別・名主の名前などが列記され、寺社についても朱印状写や除地など詳細に記される。新河岸川を中心とした河岸場の船数、川越城下起点とした諸方への道法、領内の主要町場の市日など、交通・産業関係でも豊富な史料を提供している。村ごとの記述は大きく武蔵国と上方三ヵ国とに分れる。武蔵国では入間郡一二六ヵ村と武蔵野新田三ヵ村、新座郡五ヵ村・比企郡四二ヵ村・高麗郡一八ヵ村・埼玉郡一二ヵ村と、合計五郡に二〇三ヵ村と三新田、その村高合計は拝領高で七万一千八五三石余、ほかに出高が三万一千五五三石余。上方は河内摂津・和泉三ヵ国六郡四二ヵ村で拝領高二万一七六石余、出高一千三三三石余である。武蔵国内については各村ごとに村高・出高・名主の名前、城下町川越からの距離などが記されている。なお吉保の入国当初の領地村名については、元禄七年の柳沢保明領知目録(「楽只堂年録」柳沢文庫、活字本は「新編埼玉県史」資料編一七)がある。

活字本新編埼玉県史」資料編一四

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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