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橘南谿 たちばな-なんけい
1753-1805 江戸時代中期-後期の医師。
宝暦3年4月21日生まれ。京都で香川修庵や吉益東洞などの古医学をおさめて開業。天明3年小石元俊らと人体解剖をおこなう。医学修業のため諸国を歴遊し,「東西遊記」をあらわす。のち朝廷の医官となった。文化2年4月10日死去。53歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本姓は宮川。名は春暉(はるあきら)。字(あざな)は恵風。別号に梅仙。著作に「傷寒外伝」など。
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デジタル大辞泉
「橘南谿」の意味・読み・例文・類語
たちばな‐なんけい【橘南谿】
[1753~1805]江戸中期の医者・文人。伊勢の人。本名、宮川春暉。字は恵風。別号、梅仙。京都で漢方医学を学び、文学にも造詣が深い。全国を遍歴して「西遊記」「東遊記」を著し、医学上の創見も多い。著「傷寒外伝」など。
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たちばな‐なんけい【橘南谿】
江戸中期の医者、文人。本名宮川春暉
(はるあきら)。通称東市。伊勢国(三重県)の人。京都で漢方医を開業、「傷寒論分註」などを著す。また、各地を旅し、「西遊記」「東遊記」などの紀行文や
随筆「北窓瑣談」を書いた。宝暦三~文化二年(
一七五三‐一八〇五)
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橘南谿【たちばななんけい】
江戸後期の医家。宮川氏,名は春暉,字は恵風。伊勢の人。老子を好み,和歌をたしなんだ。探検癖があり,あまねく全国に遊んで《東遊記》《西遊記》を著した。医家としては《傷寒論》の注解があり,随筆・考証では《北【そう】瑣談》《国語律呂考》がある。
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橘南谿 (たちばななんけい)
生年月日:1753年4月21日
江戸時代中期;後期の儒医
1805年没
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