橋本 綱常(読み)ハシモト ツナツネ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「橋本 綱常」の解説

橋本 綱常
ハシモト ツナツネ


肩書
貴院議員,陸軍軍医総監,日本赤十字社病院初代院長,東京大学教授

別名
幼名=破魔五郎

生年月日
弘化2年6月20日(1845年)

出生地
越前国福井常磐町(福井県)

学位
医学博士〔明治21年〕

経歴
生家は代々医家。越前藩士で、藩校明道館に学び、半井仲庵らについて医学を修める。また、田代万隆に蘭学を、富田鷗波に詩学を学ぶ。文久2年長崎に赴き、オランダ人シントレルに師事。のち江戸に出て松本良順の塾に入り医学を修めた。元治元年再び長崎で蘭医ボードゥインに師事。慶応2年藩の医学館外科教授となる。戊辰戦争越後に出征し、野戦病院創設。維新後、明治5年官命により欧州留学。10年陸軍軍医となり西南戦争従軍。翌11年東京大学医学部教授。17年ジュネーブ条約(赤十字条約)加盟調査のため欧州へ赴き、帰国後日本赤十字社設立に尽力。18年陸軍軍医本部長、19年陸軍省医務局長に就任。同年日赤病院初代院長。ついで貴院議員、宮中顧問官、日本赤十字社監督となり、28年男爵授爵。38年陸軍軍医総監、39年帝国学士院会員。40年子爵となった。

没年月日
明治42年2月18日

家族
兄=橋本 左内(幕末期の志士)

資格
?国学士院会員〔明治39年〕

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「橋本 綱常」の解説

橋本 綱常
ハシモト ツナツネ

明治期の陸軍軍医,医学者,子爵 陸軍軍医総監;日本赤十字社病院初代院長;東京大学教授。



生年
弘化2年6月20日(1845年)

没年
明治42(1909)年2月18日

出生地
越前国福井常磐町(福井県)

別名
幼名=破魔五郎

学位〔年〕
医学博士〔明治21年〕

経歴
生家は代々医家。越前藩士で、藩校明道館に学び、半井仲庵らについて医学を修める。また、田代万隆に蘭学を、富田鷗波に詩学を学ぶ。文久2年長崎に赴き、オランダ人シントレルに師事。のち江戸に出て松本良順の塾に入り医学を修めた。元治元年再び長崎で蘭医ボードゥインに師事。慶応2年藩の医学館外科教授となる。戊辰戦争で越後に出征し、野戦病院を創設。維新後、明治5年官命により欧州留学。10年陸軍軍医となり西南戦争に従軍。翌11年東京大学医学部教授。17年ジュネーブ条約(赤十字条約)加盟調査のため欧州へ赴き、帰国後日本赤十字社設立に尽力。18年陸軍軍医本部長、19年陸軍省医務局長に就任。同年日赤病院初代院長。ついで貴院議員、宮中顧問官、日本赤十字社監督となり、28年男爵授爵。38年陸軍軍医総監、39年帝国学士院会員。40年子爵となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「橋本 綱常」の解説

橋本 綱常 (はしもと つなつね)

生年月日:1845年6月20日
明治時代の陸軍軍医。日本赤十字社病院初代院長;子爵
1909年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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