野球選手。東京都出身。青山学院中等部から1902年(明治35)早稲田(わせだ)大学入学、同年秋から野球部第2代目の主将。1905年春の初渡米の際にも主将兼遊撃手として、チームを率いて活躍した。アメリカから帰国後、安部磯雄(あべいそお)部長の勧めにより、遠征で得た新しい野球技術を紹介するため『最新野球術』という解説書を書く。卒業後、萬朝報(よろずちょうほう)、朝日新聞、毎日新聞の運動記者として活躍、「頑鉄(がんてつ)」のペンネームで一世を風靡(ふうび)した。1927年(昭和2)に開始された全国都市対抗野球大会の開催は、橋戸の努力によるもので、彼の尽力を記念して大会の最高殊勲選手に「橋戸賞」が贈られることになっている。1959年野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[神田順治 2016年9月16日]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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