橋(はし)(読み)はし(英語表記)bridge

翻訳|bridge

日本大百科全書(ニッポニカ) 「橋(はし)」の意味・わかりやすい解説

橋(はし)
はし
bridge

道路、鉄道、水路、パイプラインなどが河川、湖沼、海峡、凹地や他の交通路などの上を乗り越えるために建設される各種の構造物の総称。橋梁(きょうりょう)ともいう。橋はその機能を十分に果たすように環境状況に応じて種々の形態が考案されている。橋は公共的な性格をもつので、その機能を安全に長期にわたり維持することが優先され、同時に経済性も要求される。また日常の生活空間の一部として環境や景観とよく調和することも必要である。

 橋の計画、設計、架設を取り扱う専門分野を橋梁工学という。橋梁工学に関連する学問領域は、応用力学、構造工学、材料学、地盤工学、河川工学、交通工学、耐震工学、気象学、環境工学、工業デザインなど多方面にわたる。橋梁工学はこれらの各分野から必要なものを抽出、摂取して総合工学として高度に発展してきた。最近では優秀な材料の開発、溶接やプレストレス技術の進歩、架設法の進歩改良と電子計算機を用いた解析・設計法の長足の進歩とともに橋梁工学は著しく進展し、ほぼ自在な形態をもち強度的にも造形美にも優れた構造が可能となってきた。一方、設計の自動化、製作、架設の合理化、省力化も進み、長大橋でも短期日で架橋されるようになった。

[小林昭一]

歴史

西洋

人類が橋をつくるようになったのは有史以前のはるか昔にさかのぼる。最初は樹幹を用いた丸太橋(まるたばし)や植物のツルやツタなどを利用した吊橋(つりばし)が生まれたであろう。人の移動や物資輸送の必要性が高まるにつれて、原始的な丸太橋は渡りやすいように、またより強いものへとしだいに改良されていったであろう。石材を用いた橋はかなり遅れて現れたようである。

 現存する古代の橋で名高いのはローマ人の建造した石造アーチ橋である。彼らはローマだけでなく、ローマ帝国の勢力の及んだ各地に巨大な建造物を残している。ローマ郊外のアッピア水道橋(前300ころ)、スペインのセゴビア水道橋、ニームのガール橋(前63~前13)などは有名である。

 ローマ帝国の滅亡後は石造アーチ構法もしばらく衰退していたが、9世紀から16世紀にかけて、ローマ時代のものに比べて大規模で技術的に進んだ石造アーチ橋が多く架けられるようになった。なかでもスペインのサン・マルチン橋(1212)、イタリア、フィレンツェベッキオ橋(14世紀、橋上に商店が並ぶ)、ベネチアのリアルト階廊橋(1588~1592)などは著名である。石造アーチ技術は中国でも発達し、北京(ペキン)南西の盧溝橋(ろこうきょう)(1192)のような美しい橋を残している。16世紀に入るとその技術は主としてフランスに継承され、理論的な解析も試みられるようになった。19世紀になると石から鉄へ、やがて鋼やコンクリートが用いられるようになり、石造アーチ橋の時代は終わった。しかしアーチ橋の技術は鋼やコンクリートという新しい素材を得て急速に発展し、大支間の架橋が可能となった。

 一方、木材を用いた橋では樹幹をそのまま桁(けた)として使用する限り大きな発展はなかった。1560~1580年ごろイタリアのパラディオが木材を組み合わせたトラス橋を考案したといわれているが、その後200年間はほとんど発展せず、1758年にスイスのグルベンマンJ. U. Grubenmannがライン川に木造トラス橋を架設したころから注目され始めた。初期のトラス橋にはアーチの影響もみられるが、しだいに木材の特性を生かした多様な構造形式のものが現れるようになった。木造トラス橋は主としてアメリカ合衆国で改良発達し、19世紀なかばで今日みるような構造がほぼ確定した。ハウ・トラスHowe trussは1830年に、プラット・トラスPratt trussは1844年に現れている。やがて張力部材に鉄を用いた木鉄混合トラス橋が誕生し、ついで全部材に鉄を用いた鉄橋、さらに鋼橋へと発展していった。アメリカ合衆国では1860年ごろに錬鉄が、1872年ごろに鋼が使用されるようになった。なお、1864年ごろドイツのゲルバーJohann Gottfried Heinrich Gerber(1832―1912)がゲルバー桁(けた)を考案し、1867年にゲルバー・トラス橋を架設している。初期の本格的な鋼トラス橋にはアメリカ合衆国、セントルイスイーズ橋(1874、支間158メートル)、イギリスのフォース橋(1890、支間521メートル、全橋長2.4キロメートル)などがある。フォース橋はゲルバー形式で現在でも鉄道橋として使用されている。これと同形式の橋では世界最大支間549メートルを誇るカナダのケベック橋(1917)が有名である。この橋は架設中に部材の座屈によって二度も崩壊事故を起こし、座屈の重要さを知らしめる端緒ともなった。大阪の港大橋(みなとおおはし)(1974、支間510メートル)は世界第3位の支間長である。

 桁橋(けたばし)では1850年にイギリスのメナイ海峡にブリタニア箱桁橋(最大支間141.7メートル)が架設された。この橋は箱の中に列車を通す画期的な構造となっており、今日の箱桁橋の先駆である。そのころリバプール運河に錬鉄製のプレートガーダー鉄道橋(1846、支間18メートル)も架けられた。桁橋の基本的な形はほぼこの時代にできあがったといえる。その後、鋼やコンクリート材料の高強度化と溶接技術と施工技術の進歩、解析法の発展と相まって適用支間長はしだいに伸びてきた。桁橋は通常の支間長でももっとも多用されている。

 吊橋(つりばし)は張力の優れた鉄材が用いられるようになって復活し、1800年代から錬鉄製のチェーンや針金を用いたものが架けられ始めた。吊橋は主としてイギリスとアメリカ合衆国とで発達した。平坦(へいたん)な路面を確保し、動揺を防ぐ補剛方法などもくふうされ、1883年にはニューヨークにブルックリン吊橋(主径間486メートル)が架けられた。20世紀に入ると高張力鋼ケーブルの発達とともに急速に長大化し、ニューヨークのジョージ・ワシントン橋(1932、中央支間1067メートル)、サンフランシスコゴールデン・ゲート橋(1937、中央支間1280メートル)、ニューヨークのベラザーノ・ナローズ橋(1964、中央支間1298メートル)、イギリスのハンバー橋(1981、中央支間1410メートル)などと長大吊橋が次々と架けられてきた。

 構造技術の進歩は種々の構造形態をも生み出した。なかでも斜張橋(しゃちょうきょう)は特筆に値しよう。今日の斜張橋に類似した橋梁形式はすでに18世紀後半よりヨーロッパで例をみる。ロンドンのアルバート・ケッテン橋(1870、中央支間122メートル)は唯一の現存する例であるが、この形式は約1世紀の間、省みられなかった。1948年に旧西ドイツの橋の設計に斜張橋案が提出され、にわかに注目され始めた。1955年に旧西ドイツの技術でスウェーデンに最大支間182.6メートルのストレームズンド橋が架設されたのを皮切りに、まず旧西ドイツを中心に発達し、しだいに各国に普及した。斜張橋は箱桁と鋼床版(しょうばん)の使用によりますます長大化している。

 最近の橋梁技術は、高張力鋼、高強度コンクリートなど高品質の優秀な特性の材料に支えられ、溶接技術やプレストレス技術の進歩、工場製作法や各種の架設法と下部工や基礎施工技術の進歩とともに長足の発展を遂げ、高速電子計算機を用いた高度の解析、設計と相まって、種々の環境状況に応じて自在な形態をもち、経済的で環境とも調和する構成ができる域にまで達している。

[小林昭一]

日本

日本には二、三の木造や石造アーチ橋を除けば、明治時代に入って西欧の影響を受けた橋が出現するまでみるべきものはほとんどない。史実に残る最古の橋は仁徳(にんとく)天皇時代に摂津の国にあったという猪甘津(いかいのつ)の橋であろう。推古(すいこ)天皇の時代には百済(くだら)から架橋技術が伝えられたという。その後、唐橋(からはし)という日本庭園橋形式が生まれ、社寺建築と並んで室町時代から江戸時代にかけて発展したが、一般の道路構造物としては発達しなかった。古橋は多くは木造であったためにほとんど現存せず、伝承された遺構をみるだけである。岩国の錦帯橋(きんたいきょう)、甲斐(かい)の猿橋(さるはし)、日光の神橋(しんきょう)、木曽(きそ)の桟(かけはし)などいずれも木橋である。錦帯橋、猿橋は日本三奇橋に数えられ、また、神橋、木曽の桟も、それぞれ前二橋とあわせて三奇橋の一つとされることがある。これらは木造建築の手法を応用したものであるが、下部構造にも築城技術などと関連した優れた土木技術が使われている。錦帯橋は1673年(延宝1)に当時の岩国藩主吉川広嘉(きっかわひろよし)の計画、指揮によって架けられた径間35メートルの世界でも珍しい木造アーチ橋であり、巧妙で合理的な構成は貴重な文化遺産の一つでもある。明治以前には橋を架けたり維持、修繕をするのは主として僧侶(そうりょ)と武家であった。宇治橋や京都の五条橋は前者、古相模(こさがみ)川橋、錦帯橋や江戸日本橋は後者による例である。江戸日本橋は1603年(慶長8)徳川家康が架け、ここを全国の里程の基点としたことはよく知られている。

 江戸時代になって、中国、オランダなどからの技術の導入もあり、九州地方に石造アーチ橋が数多く架けられた。架橋技術は秘伝として守られていたためか、その他の地方へは普及しなかった。長崎の眼鏡橋(めがねばし)(1648)、諫早(いさはや)の眼鏡橋(1839)、熊本の通潤橋(つうじゅんきょう)(1854)などは現存する名橋である。通潤橋は逆サイホン構造の水路を28メートルの支間で渡す水路橋であり、構築の巧妙さには驚くべきものがある。

 日本の近代橋梁は、明治初期にヨーロッパとほとんど同時期に鉄製の橋を架けたときに始まる。その後、鉄道や道路の発達とともに橋の需要は増大し、技術の進展を伴ってしだいに本格的な橋梁が架けられるようになった。さらに関東大震災後の復興事業として東京の隅田(すみだ)川に各種の大橋梁が数多く架けられるに及んで、日本の橋梁技術は世界的技術水準に達した。第二次世界大戦後は戦禍で失われた橋の復興と、それに引き続く交通網の整備拡充に伴っておびただしい数の橋が架設されている。この間に橋梁技術は地震や台風という日本独特の不利な条件を克服しつつ発展し、いまや世界第一級の技術を誇るまでになっている。

[小林昭一]

分類

橋はおよそ次のように分類される。

[小林昭一]

用途による分類

(1)道路橋、(2)鉄道橋、(3)水路橋に大別される。道路橋は自動車交通のために架設される橋である。歩行者専用の橋は歩道橋という。鉄道橋は鉄道専用の橋で、軌道を設置する。水路橋は水道、灌漑(かんがい)用水、発電用水などを通す橋である。水路橋のうちで管路を渡すものを管路橋という。二つ以上の用途を兼ねるものを併用橋という。

[小林昭一]

橋が越えるものによる分類

(1)河川橋、(2)陸橋、(3)高架橋などに大別される。河川橋は河川、海峡、湖沼、湿地などを越えて架けられるもの、陸橋は陸上の凹地に架設されるものである。高架橋は平地上に通路を高くする目的で架設され、市内高速道路橋や立体交差に用いられる。道路を横断してその上に架ける橋を架道橋、鉄道線路上を横断する橋を跨線(こせん)橋という。歩道橋も高架橋の一種である。

[小林昭一]

構造形式による分類

(1)桁橋、(2)トラス橋、(3)アーチ橋、(4)ラーメン橋、(5)吊橋、(6)斜張橋、(7)複合形式など。桁橋は丸太橋のように木桁、鋼桁、コンクリート桁などを水平に架け渡したものである。鋼板や山形鋼を組み合わせてI形断面桁としたプレートガーダー橋、鋼板やコンクリートで箱形断面の桁を構成した箱桁橋などがある。トラス橋はトラスで主構を構成した橋である。部材の組み方によりハウHowe、プラットPratt、ワーレンWarenなど多くの形式がある。アーチ橋は材料を圧縮材として使用したアーチ形状の橋である。最近のものでは曲げや剪断(せんだん)にも抵抗できるように設計されたものも多い。ラーメン橋は桁と橋脚を一体として剛結したもので、架道橋に多い。吊橋は材料の引張り抵抗力を利用した形式で、空中に張り渡したケーブルが主体である。通行用の路面確保と変形防止のために補剛桁を設ける。ケーブルを支持するための塔や引張り力を大地に伝えるアンカー、補剛材を吊り下げるハンガーなどが必要である。斜張橋は、主桁を塔から斜めに張ったケーブルにより支持する構造の橋である。複合形式は桁、アーチ、ラーメン、引張り材などを組み合わせたものである。この種の橋も多い。代表的なものは考案者の名をつけてよばれている。ランガーLanger橋は軸圧縮のみに抵抗するアーチと桁やトラスの複合構造、ローゼLohse橋はリブ・アーチと桁やトラスの複合構造、ニールセンNielssen橋はランガー橋またはローゼ橋でハンガー(引張り材)を斜めに張ったものである。フィレンデールVirendeelはトラスの斜材を取り去って弦材と柱材とを剛結した構造で、ラーメン構造の一種である。斜張橋は桁構造を引張り材で支える特殊な複合構造ともいえる。

[小林昭一]

使用材料による分類

(1)鋼橋、(2)鉄筋コンクリート橋、(3)プレストレストコンクリート橋、(4)木橋、(5)石工橋、(6)軽合金橋(アルミニウム橋)など。異なる材料を一体として用いた合成橋もある。

[小林昭一]

その他の分類

通路面の位置により分類すると、通路が橋桁上部にあるものを上路橋、下部にあるものを下路橋、中間部にあるものを中路橋という。上下に2層の通路のある二層橋もある。支持方式によっては単純桁、連続桁、ゲルバー桁(カンチレバー桁)などに分けられる。橋の平面形状によって分けると直橋(ちょくきょう)、斜橋(しゃきょう)、曲線橋などとなる。橋体が動くか否かによっては可動橋、固定橋、可搬橋などに分けられる。

[小林昭一]

材料と形式

材料のもつ特性をもっとも有効に利用するためには、それに適した構造形式を採用する必要がある。石材やコンクリートは圧縮には強いが引張りには弱いのでアーチのような構造に適し、木材は圧縮、引張り、曲げ、剪断(せんだん)などに抵抗するので、軽量である利点ともあわせて比較的自由に使用できるが、強度は高くなく、腐食するので耐久性は劣る。鋼は重量、強度の点で非常に優れており、加工性もよく接合することも容易であるので、薄肉の部材を構成するのに適する。鋼橋は多くの材片を接合し、部材を組み立てて構成されるので接合性は重要である。リベットによる接合には種々の制約があったが、溶接技術の発達と普及によってこの問題は一挙に解決した。その結果、鋼の長所をいっそう生かした構成が可能となった。鋼床版や箱桁形式が生まれ、曲線橋や重層構造などの複雑な構造の架設も容易となった。現場での接合には高力ボルトも採用されることが多い。

 一方、コンクリートを用いる場合にも、コンクリートの弱点を鋼棒で補った鉄筋コンクリート構造、さらに高張力鋼の線材や棒を用いて構造内に積極的に圧縮力を導入したプレストレストコンクリート構造が普及するに及んでコンクリート橋は飛躍的に発展した。最近の高強度鋼と高強度コンクリートの発達は構造形式の選択の自由度を増し、また新しい構造形態をも可能とした。しかし曲げや圧縮を受ける部材では座屈を避けるために断面が大きくなるので、鋼部材では不経済となる。圧縮部を鉄筋コンクリート床版と一体とした合成桁は、鋼とコンクリートとの特性を有利に用いた経済的な形式である。

[小林昭一]

構成

標準的な橋は上部構造、下部構造と基礎より構成される。上部構造は直接荷重を支持し通路を形成する部分、下部構造は橋脚、橋台、アンカー、支塔など上部構造を支持する部分、基礎構造は下部構造本体からの力を大地に伝達すると同時に橋をしっかりと固定する部分である。橋の形式によっては上記のように明瞭(めいりょう)には区別できないものもある。

[小林昭一]

上部構造

上部構造は、通路を形成する床構造、それを直接支える床組、本体である主構造、および橋を立体的に構成し風、地震などの横方向荷重に抵抗する横構や対傾構からなる。このほかに上部構と下部構との間には支承が設置される。鉄道橋では床を用いずに軌道を直接取り付けたものも多い。道路橋の上路形式のプレートガーダーのように主桁の上に直接鉄筋コンクリート床版を設ければ床組は不要である。アーチ橋、吊橋、斜張橋では平坦(へいたん)な路面を形成する必要からかならず床組が必要となる。トラス橋でも同様である。

 床構造としては鉄筋コンクリート床版や縦横にリブで補剛した鋼床板が用いられる。床組は普通には横桁と縦桁とで構成される格子状構造である。橋にはほかに付属施設が設けられる。路面排水施設、伸縮継目、高欄(こうらん)、照明灯、鉄道橋では監査用通路などである。電纜(でんらん)管、ガス管、水道管などを付設することもある。

[小林昭一]

下部構造

下部構造は橋脚と橋台とに大別される。橋脚は橋の中間部にあって上部構造を支え、橋台は橋の両端部にあって上部構造を支えると同時に背面の土圧にも抵抗する。両者とも鉄筋コンクリートでつくられることが多い。これらには種々の形式があるが、上部構造からの荷重だけでなく、地震の影響、地形、地盤の特性なども考慮して設計される。普通には重力式、半重力式の壁形式のものを用いるが、都市内高架高速道路などではラーメン形式とかT型柱形式などがよく用いられる。

[小林昭一]

基礎

基礎は大別すると直接基礎、杭(くい)基礎、ケーソン基礎、井筒(いづつ)基礎、鋼管矢板井筒基礎などとなる。基礎は地盤の状況、支持すべき荷重の大きさなどにより各種のものが選定される。堅固な岩盤が露出していれば特別な基礎は不要である。地盤が軟弱なほどしっかりした基礎が必要となる。堅固な地盤が地表から浅い所にあれば、支持層まで掘削してコンクリートを打設する直接基礎でよい。支持層が深くなれば、木、コンクリート、鋼の杭を打ち込み、その支持力に期待する。ケーソンや井筒基礎は鉄筋コンクリート製の箱や筒を地盤内に、内部底面の土砂を排出しながら支持層まで沈下させたものである。なかでも圧気潜函(せんかん)(ニューマチック・ケーソン)pneumatic caissonでは、内部で人が作業できるように水圧に対抗した圧搾空気を送り込む。このほかの大型基礎として、大口径の鋼管を多数連結しつつ打ち込んで全体として井筒形状をつくりあげる鋼管矢板井筒基礎もしばしば用いられる。特殊なものでは、本州四国連絡橋の基礎のように、海中に鋼ケーソンを沈設し砕石を詰めたのちモルタルを注入してコンクリート基礎に仕上げるプレパックド工法も採用される。

[小林昭一]

架設方法

橋の架設工法は計画当初から形式選定とともに検討され、設計作業が進められる。架設工法の目標は、(1)橋を所定の形状に仕上げること、(2)所定の力の配分状態にすること、(3)合理的で安全な施工をすること、である。架設工法は以下のように大別される。

[小林昭一]

支持部材を用いない架設法

(1)一括架設法 クレーンなどで吊り上げて組み上げた状態のままで一括架設するもの。(2)片持式架設法 橋体を片持ち梁(ばり)のように張り出していって架設する方法。両側から張り出す場合と橋脚から両側へ平衡を保ちながら張り出す場合とがある。アーチ橋などでは控えケーブルで途中を吊りながら張り出すこともある。斜張橋はケーブルを利用して架設する。これらの架設法によれば橋下空間に支障はない。

 さらに使用する機械により分類すると、(1)クレーンを用いる方法、(2)架設用の桁を用いる方法、(3)引出し式工法などとなる。引出し式工法は、手前で組み立てた橋をケーブル、台車、台船などで支持しながら引き出すものである。

[小林昭一]

足場式架設法

組み上げた足場の上で組立て作業を行う方法。鉄筋コンクリート橋では足場の上に型枠を組み、鉄筋を配置してコンクリートを打設する。橋が完成すると足場は取り除く。この工法はもっとも安全で広く用いられている。

[小林昭一]

ケーブル式架設法

両側に塔を建て、上方にケーブルを張り渡し、それから部材を吊って組み立てる方法。トラス部材のように軽量部材の組立てには有利である。吊橋はこの架設法による。ケーブルは変形しやすいので形状の調整に配慮を要する。

 いずれの架設法を選ぼうとも、架設に際しては周辺に障害を生じないように留意することが必要である。

[小林昭一]

架橋の手順

一つの橋が完成するまでの手順は普通には次のようである。架橋の必要性が生じると、まず(1)架橋地点の地形、地質、気象、地震などの自然条件と交通状況、経済効果、用地取得、環境などの社会的条件について資料の収集や各種の調査を行う。(2)橋の形式、使用材料、下部構造、基礎工法、架設方法などの技術的検討と工事費の概算を行う。環境アセスメントも重要である。この段階ではいくつかの試案を比較検討する。(3)採択された案について、所定の設計示方に基づいて詳細設計および架設法を検討する。(4)工事が発注され、受注者は製作・架設工事を開始する。(5)完成すれば竣工(しゅんこう)検査が行われ、合格すれば工事費が支払われる。

 現在では作業は各段階ごとに分業の形で行われる。計画は企業者、主として官公庁が行い、調査、設計は企業者の監督のもとにコンサルタントが行うことが多く、製作、施工は専門業者に分担される。企業者は各段階を通じて作業の監督、検査、判定、調整を行い、完成したものの認定および維持、管理などを行う。最近では計画、設計の段階で電子計算機が活用され、製図まで一貫した自動設計なども実現している。また製作、施工の過程でも自動化やロボット化が図られている。

[小林昭一]

機能と美観

橋は単に交通路の一部として機能するにとどまらず、その両側の地域を心理的に結び付けるような役目を果たすとともに、人間の力と知恵の象徴としての記念碑的な意味をもつので橋には美しさもまた必要である。橋のもつ美しさを構成する要素の第一は形式美である。橋は各部材が均衡を保ちながら好ましく整った形に構成されると全体として安定感のある形式美が現れる。第二は機能美である。力学的に合理的でつり合いのとれた構造は各部分にむだがなく、寸分のすきもなく外力に抵抗しているので力の緊張感があり、活発な力に満ちた機能美が現れる。

 橋は形式美と機能美とによってそれ自体の技術美を創出するが、それだけでは十分ではない。橋はかならず架橋地点の自然や他の構造物といっしょにみられるので、環境との調和を図ることもたいせつである。橋の色彩は環境に調和し、橋の形態にも合致するよう十分に配慮されねばならない。

[小林昭一]

文化史

水中に石を配置して渡りやすくした「飛び石」、密林地帯でツタ・縄を用いたブランコ型のくふうなどは、橋発生以前の渡河技術とみることができよう。交通量が一定水準に達すれば、籠(かご)編みの発展した文化では軽便な吊橋(つりばし)を、小さくない樹木を渡河地点周辺で利用できる環境にある文化では丸木橋、湿地帯の埋め橋などの小さな橋をつくって渡河を容易にするのが一般的だった。環濠(かんごう)集落の出入り用の橋が、家屋建築の軸組、アーチ工法を応用して建設され、集落規模と環濠幅の拡大により、しだいに長大化した。車を用いる地域では土をかぶせるなどにより通行を容易にした。長大な橋の建設には大量の労働力、資財投下を要し、維持費も高いから、渡河には不都合な車を用いた大量かつ敏速な移動・運搬が主要な交通手段にならない限り架橋効果はないので、長大橋をつくらない時代が長く続いた地域が多い。歴史時代に入っても、移動の途中で徒渉困難な水面が行く手を遮れば、浅瀬まで迂回(うかい)して徒渉するか、水上交通を利用するなどにより、高価な長大橋を建設するのを避けるのが普通だった。一時的に大量の人間・物資を徒渉困難な地点で迅速に渡河させる必要が生じれば、舟を並べて板をのせた「舟橋(ふなばし)」を利用すればよかった。

 大人数を拘束的日程に従って、城壁と水面に囲まれた都市間を舟運よりも早い速度で移動させる状況、実際には戦車・騎兵の出入りの必要が生じて、まず都市周囲の水面上の長大橋架橋が意味をもち始めたと考えられる。ゾロアスター教に起源し、イスラム教とともに拡散して、環地中海地域全域に変形しながら広がり、南アジア、東アジアにも影響を及ぼして、橋に関する超自然思想の母体となった「最後の審判の際に善人のみが渡りうる細く長い橋」の終末論的観念は、長大橋の軍事目的と関連した起源をもつのかもしれない。ただし、都市環濠に設けた長大橋は原則として籠城(ろうじょう)時の撤去の便を考えた仮設的な木造橋だったらしい。また、大都市周辺では集中する物資を運ぶ水上交通が発達することが多く、舟運を妨げるのを避けるには高くて橋脚の少ない橋をつくる必要があるうえに、防衛上の配慮もあって、長大橋の建設は限定されがちだった。

 都市のある文化が最初に出現したメソポタミア、エジプト両地域では当初は長大橋をつくらなかったとみられる。仮設的長大橋は紀元前二千年紀から架橋されたとみられるが、今日確認できる恒久的長大橋ではティグリス川と大環濠に囲まれたアッシリアの旧都アッシュールの外郭橋(前7世紀以前)がもっとも古い。カルデア王ネブカドネザル2世の建造によるバビロン東西市街間のユーフラテス川上のアダド通り橋はこれよりも新しい(前6世紀)から、アッシリア時代に籠城の心配のない大都市から大量の戦車からなる威容を整えた軍勢が出入りする慣行が成立し、恒久長大橋の建設が始まったと考えるべきだろう。

 首都ローマのスブリキウス橋で特別な祭礼を行い、ポンティフェクス(橋の建造者)が宗教的指導者、のちに支配者を意味したローマ帝国では、軍事行動と関連した恒久橋の架橋が盛んで、木造または石造橋脚に木造部分をのせた長大橋が辺境にもつくられた。イスラム諸国では、渡河容易な河川の多い乾燥地帯が多く、都市周辺の徒渉困難な内水面を貢納・交易物質の大量運搬の幹線とし、渡河用舟運も発達したので、長大橋の建設はまれだった。イスタンブール、デリーなどの中世イスラム大国家の首都周辺の水面上に長大橋がみられなかったのはその例である。ローマ帝国から「ポンティフェクス」を継承して11世紀以降ローマ教皇の別称とした中世ヨーロッパでは、12世紀末ごろから交通・流通の発達を背景に、長大橋を含む交通路および宿泊施設の建設を組織的に進めた。当初は巡礼用施設の側面が強調され、宗教的奉仕団が長大橋を架橋し、隣接して建設した教会が橋の維持管理にあたり、アビニョンの橋に関する聖ベネゼの伝説などが成立した。のちには商業の発達に伴って、周辺に集落が成立して商業的機能が増大し、長大橋自体が商業集積になる例も現れた。

 中国北部の古代城壁都市成立期には戦車が使用されたので、都市周囲の幅員のある環濠には、早くから発達した木造の橋が建設され、それ以降は環地中海地域と類似した発展を遂げた。軸組工法によったとみられる中央部のやや高くなった木造長大橋を意味する「橋」が、丸木橋の「杠(こう)」、揚子江(ようすこう)下流地域に多かった土橋の「圯(い)」などの小さな橋と古くから区別されて意識されていたのは、早い時期から長大橋が発達した結果だろう。「飛び石、堤」の意味もある「梁」は本来魚労用の「簗(やな)」の意味で用いたが、古くから橋の意に転じ、通行人に踏まれ続ける「橋梁」は恥辱を忍ぶことのたとえとなった。

 中国北部で発達した長大橋の建造技術は紀元前後から東アジア全域に拡散し始め、日本でも8世紀ころから都城周辺で長大橋の建設が始まった。しかし、戦国時代まで徒渉困難な水面の渡河には舟運・浮き橋(舟橋)を利用するのが普通で、京都、鎌倉を中心とした地域および幹線道路に主として僧侶(そうりょ)の勧進(かんじん)による若干の長大橋(宇治橋、山崎橋、堀江橋など)が架橋されるにとどまった。16世紀末から恒久的長大橋の架橋が増え始め、とくに17世紀後半からは大都市での建設数が増えたが、幹線でも架橋を避けたのは、東海道の大井川渡河にみるとおりである。西アジア起源とみられる橋の超自然観は、日本に到達するまでに大きく変形するとともに、橋の守護神格への信仰(人柱思想、橋姫伝説、橋占(はしうら)などに発展)、橋およびその周辺の他界観(とくに京都一条堀川の一条戻橋(もどりばし)の諸説話)などが多様に展開した。

[佐々木明]

『成瀬泰雄・来島武著『世界の橋』(1967・森北出版)』『小西一郎編『鋼橋』(1975・丸善)』『山本宏著『橋梁美学』(1980・森北出版)』『上田篤著『橋と日本人』(岩波新書)』『G・メドベド著、成瀬輝男監修・訳『世界の橋物語』(1999・山海堂)』『E. B. MockThe Architecture of Bridges(1949, The Museum of Modern Art, New York)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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