精選版 日本国語大辞典 「樺山資紀」の意味・読み・例文・類語
かばやま‐すけのり【樺山資紀】
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明治時代の海軍軍人、政治家。伯爵。薩摩(さつま)藩出身。藩士橋口与三次の三男に生まれ、のち樺山四郎左衛門の養嗣子(ようしし)となる。薩英戦争、戊辰戦争(ぼしんせんそう)に従軍。1871年(明治4)陸軍に出仕、台湾出兵に出征、さらに西南戦争では熊本鎮台参謀長として籠城(ろうじょう)、奮戦した。1883年陸軍少将のとき海軍大輔(かいぐんたいふ)となり、海軍拡張計画を推進した。1890年山県有朋(やまがたありとも)内閣の海相、続いて松方正義(まつかたまさよし)内閣にも留任、第二議会で建艦費が否決されると、明治維新以後の薩長藩閥政府の功績を誇示するいわゆる蛮勇演説を行い民党側を激高させた。予備役に入り枢密顧問官となったが、日清(にっしん)戦争に際して現役に復帰、軍令部長として作戦指導にあたり、黄海海戦には自ら乗艦して出撃した。1895年初代の台湾総督となり、武力抵抗を弾圧して植民地行政に着手した。さらに第二次松方内閣の内相、第二次山県内閣の文相などを歴任、晩年は三たび枢密顧問官となった。日清戦争後は薩派政治家の代表の一人として遇された。
[宇野俊一]
(山村義照)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
明治期の海軍軍人。薩摩藩出身。戊辰戦争に従軍,台湾出兵に参加。西南戦争では熊本城を守って西郷軍と戦った。警視総監,陸軍少将,海軍次官を経て,1890年第1次山県有朋内閣の海軍大臣となり,第1次松方正義内閣に留任。〈日本の今日あるは薩長内閣のためなり〉との〈蛮勇演説〉は有名。日清戦争では海軍の作戦を指導し,95年大将,戦後初代台湾総督となった。のち内務・文部両大臣を歴任,1903年元帥。典型的な藩閥政治家であった。
執筆者:大日方 純夫
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1837.11.12~1922.2.8
幕末期の鹿児島藩士,明治期の陸海軍軍人・藩閥政治家。戊辰(ぼしん)戦争に従軍。維新後陸軍に入り,台湾に出兵。西南戦争で活躍。大警視・警視総監をへて海軍に移り,1890年(明治23)第1次山県内閣の海相となる。つづく第1次松方内閣期に行った「蛮勇演説」が衆議院解散の契機となる。第2次松方内閣では内相として新聞紙条例を緩和し,一時は首相候補と目された。第2次山県内閣の文相をへて枢密顧問官となる。伯爵。
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