…1909年7月31日付の《万朝報(よろずちようほう)》は〈活動写真の全盛〉と題する記事で,〈近来活動写真の流行は殆んど極点に達して居る。昨日まで出来た常設館の数は東京市内だけでも七十ヶ所以上に出で,興行資金に数十万円を運転してゐるとの事だ〉と書き,8月9日付の続稿では〈恁くも盛に流行して居る活動写真の材料を差し替引き替供給してゐる〉のは〈全国でか三人〉だとして,横田商会の横田永之助(1872‐1943),Mパテー商会の梅屋庄吉,吉沢商店の河浦謙一の名を挙げている。翌10年にはこれに福宝堂が加わって,4社による映画の輸入・製作・配給がいよいよ盛んになった。…
…賞勲局疑獄ともいう。私的に巨額な負債を負って苦しんでいた天岡は,1928年11月の天皇即位大礼を機に行われた大幅な叙勲に際し,東京商工会議所会頭藤田謙一,日活社長横田永之助,日魯漁業会長堤清六らから叙勲の報酬として収賄した。この事実は浜口雄幸民政党内閣のもとで摘発されたが,勲章を売るという衝撃的な事件のため,政党内閣の下で相次いだ他の疑獄事件とあわせて,既成政党と財界の腐敗を世間に強く印象づけることとなった。…
※「横田永之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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