横田成年(読み)よこたせいねん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「横田成年」の意味・わかりやすい解説

横田成年
よこたせいねん
(1875―1953)

造船学者、航空学者。京都市に生まれ、1898年(明治31)東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。同大学助教授教授を歴任し、造船学、弾性学に多くの研究業績を残している。大正中期、東京帝国大学総長山川健次郎(1854―1931)らが、日本における航空の基礎的研究所の設立を提唱していたが、1916年(大正5)東大に航空学調査委員会(委員長田中館愛橘(たなかだてあいきつ))がつくられて航空の研究を開始した。日本にはまだ航空学の伝統がなかったので、井口在屋(いのくちありや)、横田成年、栖原豊太郎(すはらとよたろう)(1886―1968)、和田小六富塚清(1893―1988)ら、航空にわりあい近いとされた造船学、物理学などの学者が委員となった。この委員会を母体に航空研究所が1918年4月、東京帝国大学に工科大学附属研究所として創設された。7月には日本で初めての大学附置研究所(学部と対等で専任の教授・助教授を置くことができる)に昇格した。また航空学5講座(航空学科)も同4月に新設されている。横田は新設の航空研究所所長と航空学科主任を兼任し、日本の航空工学草創期、基礎確立に尽力した。

[半澤正男]

『横田成年博士記念事業委員会編・刊『横田成年論文集』(1954)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横田成年」の意味・わかりやすい解説

横田成年
よこたせいねん

[生]1875.5.10. 京都
[没]1953.1.11.
造船・航空工学者。 1898年東京帝国大学造船学科卒業後,ただちに同大学助教授。 1936年退官するまで 38年間,同大学にあって弾性力学,流体力学,弾道学など広い分野にわたる諸問題に,数学的技法を駆使し,多くの研究成果をあげた。日本の航空学の草創期にあたり,同大学工学部に航空学科を創設,同大学付置の航空研究所の創立に際しては初代所長に就任後進の教育および研究の指導に力を尽くした。 1934年日本航空学会が設立され,初代会長となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横田成年」の解説

横田成年 よこた-せいねん

1875-1953 明治-昭和時代の航空学者,造船学者。
明治8年5月10日生まれ。43年母校東京帝大の教授。造船学を専攻したが,揺籃期のわが国の航空工学の研究基盤づくりにとりくむ。大正7年東京帝大航空研究所設立と同時に初代所長に就任,また新設の工学部航空学科主任教授を兼任した。昭和28年1月11日死去。77歳。京都出身。

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