中世よりみえる
一五六三年三月、大村純忠は当地を訪ねてフェルナンデス修道士の説教を聴き、またポルトガル人と交際し、湊の利益のために一年の大半をここで過ごすことを望み、教会の近くに家を建てたという。さらに五月に大村でトルレスと布教について協議を行い、その後二〇―三〇人の家臣を連れてヨコセ浦に来て洗礼を受け、バルトロメオを洗礼名とする日本で最初のキリシタン領主となった(一五六三年四月一七日「フェルナンデス書簡」・同年一一月一四日「フロイス書簡」イエズス会士日本通信、フロイス「日本史」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…キリシタン大名として有名。1562年(永禄5)キリシタンに好意を示すことによって,ちょうど平戸でトラブルをおこしていたポルトガル船を領内横瀬浦に招致。63年受洗することによって,貿易上の結びつきをより強固なものとした。…
※「横瀬浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
イタリア系フランス人の天文学者。カシニともいう。ニース近郊に生まれ、ジェノバで聖職修業中に、ガリレイの弟子カバリエリに師事して数学・天文学を修得し、1650年25歳でボローニャ大学教授に任ぜられた。惑...