横浜町(読み)よこばまちよう

日本歴史地名大系 「横浜町」の解説

横浜町
よこばまちよう

[現在地名]松江市横浜町・幸町さいわいまち

たて町の西に位置する町人町。北から西は宍道湖に臨み、南は雑賀さいか町。堀尾時代城下図、延享城下図に町屋がみえる。「雲陽大数録」には町名がみえる。当町では近世に馬市が開かれ、横浜の駒市と称された。松江藩殿との町に外厩・内厩を設け、毎年四月の横浜の駒市で藩所用の馬を選定したという(松江市誌)。「出雲鍬」によると、貞享元年(一六八四)当町が困窮したため博労市許可願が出され、翌二年三斎市の駒市が許可され、御会所を定め、「市繁昌無限、市中ヨリ近国ノ博労数百人此町ニ湊リ上リ、駒ノ外ハ馬亭打寄売買仕ル」と記される。

横浜町
よこはままち

面積:一二五・八二平方キロ

陸奥湾の東岸、下北半島の基部に位置し、上北郡の最北部にあたる。北はむつ市・下北郡東通ひがしどおり村、南は野辺地のへじ町、東は六ヶ所ろっかしょ村に接する。東のとまり山地から西流して陸奥湾に注ぐ小河川がきわめて多く、さかい川・鶏沢にわとりざわ川・檜木ひのき川・田ノ沢たのさわ川・三保みほ川などがある。おもな交通は野辺地町からむつ市へ達する国道二七九号(むつはまなすライン)が陸奥湾に沿って北上し、それとほぼ同地域を国鉄大湊おおみなと線が通る。

横浜町
よこはまちよう

[現在地名]長浜市朝日町あさひちよう

瀬田せた町の東に続く東西通りで、東は八幡はちまん町。西の南北通りは箕浦みのうら町に属した。北裏はよね川。朱印地。慶安四年(一六五一)検地帳(川崎文書)に屋敷地一三があげられる。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数一六(借家二)、男三三・女二九で、町代・横目が置かれ、油屋二・紺屋・綿打屋がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横浜町」の意味・わかりやすい解説

横浜〔町〕
よこはま

青森県北東部,下北丘陵西麓にある町。 1958年町制。陸奥湾に面し,台地では酪農,沿岸では漁業が行われ,江戸時代から横浜ナマコが有名。海岸沿いに JR大湊線,国道 279号線が北上する。面積 126.38km2人口 4229(2020)。

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