横江荘(読み)よこえのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「横江荘」の意味・わかりやすい解説

横江荘 (よこえのしょう)

越前国加賀郡(823年の加賀立国以後は加賀国石川郡)の荘園。石川県白山市の旧松任市横江町が遺称地。延暦年間(782-806)に朝原内親王(桓武皇女)に与えられた前斎宮賜田が前身と考えられ,朝原内親王の死後,818年(弘仁9)に母の酒人内親王(光仁皇女)によって東大寺寄進された。寄進当時の規模は墾田186町6段余。950年(天暦4)の《東大寺封戸荘園寺用帳》には見えず,東大寺は10世紀前半までに経営を放棄したと推定される。荘名の再登場は南北朝期の1374年(文中3・応安7)で,前左京権大夫家明が地頭職天竜寺に寄進,まもなく領家職も天竜寺が入手した。87年(元中4・嘉慶1)の分米は567石7斗2升,公事銭は122貫910文。戦国期に入って,如意庵との間に相論が続いたうえ,一向一揆の管理下に置かれて,天竜寺の領有権は有名無実化し,1538年(天文7)を最後に荘名が消える。なお1970年に松任市横江町北郊で8棟の掘立柱建造物跡と〈三宅〉の墨書土器が検出され,朝原内親王家領時代から東大寺領時代の横江荘荘家跡(国指定史跡)が確認された。
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百科事典マイペディア 「横江荘」の意味・わかりやすい解説

横江荘【よこえのしょう】

越前国加賀郡(のち加賀国石川郡)の荘園。石川県松任(まっとう)市(現・白山市)横江町を遺称地とする。延暦年間(782年−806年)に朝原内親王(桓武皇女)に与えられた前斎宮賜田が前身と考えられ,朝原内親王没後の818年に母の酒人内親王(光仁皇女)によって東大寺に施入された。当時の規模は墾田186町余。998年の作成と推定される東大寺領諸国庄家田地目録案には〈已荒〉と注記があり,東大寺による当荘経営は10世紀末の段階ですでに行き詰まっていた。南北朝期以降,天竜寺領として再び荘名がみえる。1374年前左京権大夫家明が当荘の地頭職を天竜寺に寄進している。1387年には米567石余,公事銭122貫余が課せられていた。戦国期に入り如意庵との間に相論が起こるなどして天竜寺の領有権は有名無実化し,1538年を最後に荘名は消える。横江町北郊の横江荘荘家跡(国指定史跡)からは掘立柱建物跡などが検出されたほか,〈三宅〉などと記された墨書土器が出土している。

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世界大百科事典(旧版)内の横江荘の言及

【松任[市]】より

…金沢平野を流れる手取川扇状地の扇央部に位置し,西は日本海に臨む。平安時代初期に成立した東大寺領横江荘のあった地で,市内横江町にはその荘家跡(史)が確認されている。のち,一帯には在地領主林氏が勢力を扶植したが,その庶流で松任城に拠った松任氏は室町幕府奉公衆として名を連ねている。…

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