横井 時雄(読み)ヨコイ トキオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「横井 時雄」の解説

横井 時雄
ヨコイ トキオ


肩書
衆院議員(政友会),同志社社長・校長

別名
別名=伊勢時雄 伊勢又雄

生年月日
安政4年10月17日(1857年)

出生地
肥後国上益城郡沼山津村(熊本県)

学歴
熊本洋学校〔明治8年〕卒 同志社英学校英学科本科〔明治12年〕卒

経歴
いちじ伊勢姓を名のる。熊本洋学校の米人校長ジェーンズの導きで明治9年徳富蘇峰らとキリスト教入信。熊本バンドの一員となる。12年同志社卒業後、愛媛県・今治教会、東京・本郷教会の牧師となり伝導に活躍。「六合雑誌」「基督教新聞」の編集に従事。18年同志社教授。米国留学後、30年同志社社長兼校長となるが、翌年キリスト教主義をめぐる綱領削除問題で辞任。36年以来岡山県から衆院議員に当選2回、日糖事件に関係して42年政界を引退。その間、37年「東京日日新聞」主宰、37〜39年姉崎正治と雑誌「時代思潮」を刊行。政界引退後は文筆に従事。大正8年パリ平和会議に出席。著書に「基督教新論」「我邦の基督教問題」がある。徳冨蘆花の「黒い眼と茶色の目」に能勢又雄の名で登場している。

没年月日
昭和2年9月13日

家族
父=横井 小楠(熊本藩士・儒学者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「横井 時雄」の解説

横井 時雄
ヨコイ トキオ

明治・大正期の牧師,教育家,ジャーナリスト,政治家 衆院議員(政友会);同志社社長・校長。



生年
安政4年10月17日(1857年)

没年
昭和2(1927)年9月13日

出生地
肥後国上益城郡沼山津村(熊本県)

別名
別名=伊勢 時雄(イセ トキオ),伊勢 又雄

学歴〔年〕
熊本洋学校〔明治8年〕卒,同志社英学校英学科本科〔明治12年〕卒

経歴
いちじ伊勢姓を名のる。熊本洋学校の米人校長ジェーンズの導きで明治9年徳富蘇峰らとキリスト教に入信。熊本バンドの一員となる。12年同志社卒業後、愛媛県・今治教会、東京・本郷教会の牧師となり伝導に活躍。「六合雑誌」「基督教新聞」の編集に従事。18年同志社教授。米国留学後、30年同志社社長兼校長となるが、翌年キリスト教主義をめぐる綱領削除問題で辞任。36年以来岡山県から衆院議員に当選2回、日糖事件に関係して42年政界を引退。その間、37年「東京日日新聞」主宰、37〜39年姉崎正治と雑誌「時代思潮」を刊行。政界引退後は文筆に従事。大正8年パリ平和会議に出席。著書に「基督教新論」「我邦の基督教問題」がある。徳冨蘆花の「黒い眼と茶色の目」に能勢又雄の名で登場している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「横井 時雄」の解説

横井 時雄 (よこい ときお)

生年月日:1857年10月17日
明治時代;大正時代の牧師;政治家;教育家。同志社社長;衆議院議員
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android