権藤成卿(読み)ごんどうせいきょう

精選版 日本国語大辞典 「権藤成卿」の意味・読み・例文・類語

ごんどう‐せいきょう【権藤成卿】

農本主義思想家本名は善太郎。福岡県出身。明治三五年(一九〇二黒龍会に入り、対露開戦、日韓合邦を主張した。昭和に入ってからは血盟団事件、五・一五事件に多く影響を与えた。明治元~昭和一三年(一八六八‐一九三八

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改訂新版 世界大百科事典 「権藤成卿」の意味・わかりやすい解説

権藤成卿 (ごんどうせいけい)
生没年:1868-1937(明治1-昭和12)

農本主義思想家。久留米生れ。本名善太郎,間々道人,間々子と号す。父松門は郷士,国学者として知られる。青年時代,数回にわたり朝鮮,中国,ロシアを視察し,1902年内田良平の黒竜会に入り,対露開戦,日韓合邦を主張し,また黄興,宗教仁らと交遊し,08年《東亜月報》を発行。09年《皇民自治本義》を著し,〈社稷(しやしよく)国家〉の実現と農民自治を説く。官治主義,資本主義,都会を排撃し,アジア固有の〈原始自治〉に回帰することを訴え,昭和期の農本主義思想家として大きな影響力をもった。27年安岡正篤らの金鶏学院講義し,また《自治民範》(1927),《農村自救論》(1932)は,血盟団事件,五・一五事件の思想的背景をなすものとして,嫌疑を受け捕らえられた。農本結社として,31年日本村治派同盟,32年自治農民協議会に参加し,昭和恐慌下の農村救済請願運動の中心人物の一人になっていった。
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百科事典マイペディア 「権藤成卿」の意味・わかりやすい解説

権藤成卿【ごんどうせいけい】

農本主義思想家。久留米生れ。本名は善太郎。1902年内田良平黒竜会に入り,1908年《東亜月報》を編集・発行。18年社会改革団体の老壮会に参加。1920年自治学会を設立した。1927年−1930年安岡正篤らの金鶏学院で講義。血盟団事件五・一五事件の思想的背景をなしたとされる。1931年日本村治派同盟,1932年自治農民協議会に参加,農村救済請願運動に大きな影響を与えた。《権藤成卿著作集》がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「権藤成卿」の意味・わかりやすい解説

権藤成卿
ごんどうせいけい

[生]慶応4(1868).3.21. 久留米
[没]1937.7.9. 東京
政治思想家。農本主義に基づく王道政治を説き,資本主義の発達によって農村が疲弊していた昭和初期に,革新を求める右翼に大きな影響を与えた。血盟団事件五・一五事件の「黒幕思想家」といわれ,著書の『自治民範』 (1926) は青年将校によって国家革新の教科書といわれた。井上日召らの右翼指導者と親交があった。その他の主著に『君民共治論』 (32) ,『農村自救論』 (32) ,『自治民政理』 (36) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「権藤成卿」の解説

権藤成卿 ごんどう-せいきょう

1868-1937 明治-昭和時代前期の思想家。
慶応4年3月21日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩医権藤松門の長男。明治35年黒竜会にはいる。大正9年自治学会を設立。昭和6年橘(たちばな)孝三郎らと日本村治派同盟をつくる。社稷(しゃしょく)国家の実現と農本自治主義をとなえ,血盟団事件や五・一五事件の関係者に影響をあたえた。昭和12年7月9日死去。70歳。二松学舎中退。本名は善太郎。著作に「皇民自治本義」「自治民範」など。

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世界大百科事典(旧版)内の権藤成卿の言及

【救農議会】より

…この議会に向けて各種農民団体の請願が続き,借金の棒引き,軽減または償還延期,農産物価格引上げ,国家による損失補償,肥料資金の国家補償,税金の軽減などが全国に宣伝された。とくに長野,山梨,群馬など養蚕県では長野朗,権藤成卿,橘孝三郎ら農本主義者による自治農民協議会が結成され,全国から約5万人の署名を集め,第62議会に向けて農村救済請願運動が展開された。この結果,つづいて救農議会が開かれ,米穀法改正などによる米価対策,産業組合中央金庫特別融通及損失補償法,不動産融資及損失補償法,金銭債務臨時調停法などによる負債対策,さらに土木事業により景気回復と窮乏農民に副業収入を与えるための大規模な救農土木事業(または時局匡救事業)が可決実施された。…

【農本主義】より

…〈農業は尊いものである,偉大なものであると云ふ考えを起すやうにしてやつたならば始めて小作人が逃げて行かぬやうになる〉(横井《農事振興集》)というように地主制の安定化を図ろうとした。(3)権藤成卿,橘孝三郎のような在野の右翼運動家の主張する小生産者―中農層の危機に対応した超国家主義的農本主義。〈是の不安危惧の深きは農村である。…

【老壮会】より

…会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦,高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎,嶋中雄三,下中弥三郎,権藤成卿,中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。…

※「権藤成卿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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