槻御殿(読み)けやきごてん

日本歴史地名大系 「槻御殿」の解説

槻御殿
けやきごてん

[現在地名]彦根市金亀町

彦根藩四代藩主井伊直興が彦根城の北、松原まつばら内湖に面した川手主水屋敷跡に設けた下屋敷。現在も当時の姿を残す。延宝五年(一六七七)藩士松本何右衛門(一説に越石何右衛門とも)の作庭が進められ、同七年完成、藩主の私的邸宅として経営された。享保三年(一七一八)七代直惟のとき規模の縮小が図られるが、文化一〇年(一八一三)一一代直中の退隠に際し大幅な増改築が施され、槻御殿と称されるようになったという(彦根市史)。しかし宝暦六年(一七五六)および文化二年の年紀をもつ槻御殿絵図(井伊家蔵)があり、すでに一〇代直幸の頃からこの名称が使われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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