榎坂郷(読み)えさかごう

日本歴史地名大系 「榎坂郷」の解説

榎坂郷
えさかごう

千里丘陵の南西端地域、豊島てしま郡に属した。「和名抄」に当郷はみえないが、長保三年(一〇〇一)平惟仲が家地・庄牧を白川寺喜多院(のち寂楽寺、跡地は現京都市左京区)に施入したなかに「摂津国島豊(ママ)榎坂家壱処」とあり(同年六月二六日「中納言平惟仲手印文書案」高野山文書)、一〇世紀に開発が進むにつれて設置された郷か。文治五年(一一八九)三月の春日社垂水西牧榎坂郷田畠取帳(今西家文書)によれば、東は島下しましも郡と接する一条一・二里から西の八条一・二里まで東西に長く、北は一一条九里から西の同五里までの南辺、南は三国みくに(現神崎川)に至る面積五六〇余町歩の郷で、東より垂水たるみ・榎坂、小曾禰おぞね(根)穂積ほづみ(現豊中市)の四ヵ村からなっていたが、鎌倉後期に穂積村北東部に服部はつとり(現同市)が独立し、中世後期にはなん郷五ヵ村と称せられた。

当郷は寿永二年(一一八三)に摂関家(近衛家)から奈良春日社に寄進された垂水西たるみのにし牧領である(同年六月八日「近衛基通家政所下文案」春日大社文書)。しかし、前掲田畠取帳によれば、郷内には国衙領や左大臣職田のほか造酒司領・隼人司領など諸寮司田が設けられていたし、南部の低湿地域には、垂水村に山城醍醐寺末の清住せいじゆう寺領吹田庄、榎坂村に京都東寺領垂水庄、小曾禰村にも東寺領と清住寺領、穂積村に紫野むらさきの(現京都市北区)雲林うりん院領などがあり、郷内にこれら他領を内包していた。北辺の丘陵沿いに春日神供役を負担した牧内田があり、その名称から本来の垂水西牧は北部山間地域であり、また、西の小曾禰村から穂積村の南部には低湿地が多く、さらに南西には同じ摂関家領の椋橋くらはし(倉橋)(現豊中市)があることから、西部の原野にも垂水西牧があったと考えられる。これら丘陵や低湿原野で摂関家の牛馬を飼育し、春日詣の屯食や続松料足などの雑役を負担する代りに国衙側からの雑役を免除されていた牧子によって郷内の開発が進められ、それらの加納田を摂関家が庄園化したものと考えられる。したがって摂関家領・春日社領としての展開は当郷の中・西部にあったといえる。寄進後も近衛家は本所としてその支配権を保持していたが、現実の支配は領家の春日社(興福寺)が行っており、在地把握の強化に努めたのも領家である。

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百科事典マイペディア 「榎坂郷」の意味・わかりやすい解説

榎坂郷【えさかごう】

摂津国豊島(てしま)郡にあった中世の郷。大阪市府豊中市南部から吹田(すいた)市西部を占めた。1189年の奈良春日社領の田畑取帳によると面積約560町歩,東から垂水(たるみ)・榎坂・小曾禰(おぞね)・穂積の4村からなっていた。のち穂積村から服部村が別れ中世後期には南郷五ヵ村と称された。1183年に摂関家近衛家)から春日社に寄進された垂水西牧領で,内部に国衙(こくが)領位田・諸寮司田などのほか垂水村に清住(せいじゅう)寺領吹田庄,榎坂村に京都東寺領垂水庄,穂積村に雲林(うりん)院領などの他領があった。鎌倉時代末期には春日社社家目代(もくだい)今西氏が在地支配にあたり,在地有力者を収と機構弐編成した番頭制をとるなどして支配は安定した。室町後期には守護被官人池田氏らが給人として浸透した。→春日大社

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改訂新版 世界大百科事典 「榎坂郷」の意味・わかりやすい解説

榎坂郷 (えざかごう)

摂津国豊島郡南部(現,大阪府豊中市南部および吹田市西部)に成立した郷。12世紀末の検注帳によると春日社領336町2反余をはじめ,東寺領垂水(たるみ)荘86町3反余,清住寺領46町6反余など十数寺社領を含めて557町3反140歩の耕地から成る。同郷の名は律令制下の豊島郡七ヵ郷の中にはみえないが,淀川支流の神崎川氾濫低湿地と千里山丘陵南端台地を含んでおり,弥生後期以降の住居,水田遺構が発見されているところからみて早くから開発されていたと考えられる。9世紀以降同郷内の布施内親王墾田がまず東寺に寄進されて垂水荘を称し,また位田・職田および木工寮田などの諸司寮田が公田の中に設定され,その他清住寺領などもその間に介在した。12世紀に摂関家の垂水西牧が私領化する中で,この地域の穂積,小曾禰,榎坂,垂水の4ヵ村が一括して榎坂郷とよばれ,諸寺社領を除く公田部分が摂関家より春日社に寄進された。以後同社社家の支配下におかれ,神供料所として,16世紀に摂津国人衆の一人である池田氏に押領されるまで続いた。
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世界大百科事典(旧版)内の榎坂郷の言及

【垂水荘】より

…摂津国豊島郡榎坂(えざか)郷(現,大阪府吹田市西部と豊中市の一部)内にあった東寺領荘園。田数は約90町。…

※「榎坂郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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