楊僕(読み)ようぼく

世界大百科事典(旧版)内の楊僕の言及

【函谷関】より

…漢代に入り,武帝の元鼎3年(前114)に関所をおよそ150km東の現在の新安県北東の地に移した。これは当時,楼船将軍として功績のあった楊僕が,郷里が宜陽で都の長安からは関外の地となり,関外の民とよばれるのを恥として関所の移転を武帝に願い出た結果と伝えられる。こうしてできたのが新関で,古関には弘農県がおかれ,ついで弘農郡の郡治となった。…

※「楊僕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」