楊一清(読み)よういっせい(英語表記)Yang Yi-qing; Yang Ich`ing

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊一清」の意味・わかりやすい解説

楊一清
よういっせい
Yang Yi-qing; Yang Ich`ing

[生]景泰5(1454)
[没]嘉靖9(1530)
中国,明中期の政治家。安寧 (雲南省) の人。字は応寧。号は邃庵。諡は文襄。成化8 (1472) 年の進士。山西陝西の地方官を歴任して南京太常卿となり,弘治 15 (1502) 年副都御史として陝西の馬政を司り,次いで陝西巡撫を兼ねて辺防に功績をあげたが,宦官劉瑾に憎まれて辞職。正徳5 (10) 年安化王朱し鐇の乱に起用されて軍務にあたり,劉瑾を倒してから戸部尚書,吏部尚書となった。嘉靖3 (24) 年また起用されて陝西三辺総督となったが,翌年吏部尚書,華蓋殿大学士に進み,次いで首輔となった。しかし同8年張そうらの讒言で辞任し,まもなく病没。著作に『関中奏議』 (10巻) ,『石淙稿』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android