日本大百科全書(ニッポニカ) 「椎尾弁匡」の意味・わかりやすい解説
椎尾弁匡
しいおべんきょう
(1876―1971)
大正・昭和期の僧。近代仏教界の代表的推進者。浄土宗大本山増上寺(ぞうじょうじ)82世。愛知県の人。真宗高田派円福寺の椎尾順位の五男として生まれる。1905年(明治38)東京帝国大学哲学科宗教学を卒業、1915年文学博士。姉崎正治(あねさきまさはる)の高弟として知られ、阿含(あごん)経典の比較研究から大乗経典の成立と思想を明らかにし、近代仏教学を大成した。一方、宗教は単なる個人解脱(げだつ)ではなく、社会的に解脱し、真の共生を全うすべきことを主張して社会運動「共生(ともいき)」を提唱し、展開した。その間、各層から多くの共鳴者を得て社会に多大な影響を与えた。この運動推進のため、1928年(昭和3)普通選挙第1回に衆議院議員に当選、以来3選を果たした。また大正大学学長を3期務めた。晩年、盲目となったが、それでも仏教普及と伝道に率先していたことは高い評価を得ている。
[石上善應 2017年7月19日]
『『椎尾弁匡選集』全10冊(1971~1972・同書刊行会)』