植木町(読み)うえきまち

日本歴史地名大系 「植木町」の解説

植木町
うえきまち

面積:六四・七二平方キロ

県の北部鹿本郡の最南端に位置し、北は鹿央かおう町・鹿本町、南は飽託ほうたく北部ほくぶ町・河内かわち町、東は菊池郡七城しちじよう町・泗水しすい町・西合志にしごうし町、西は玉名たまな玉東ぎよくとう町に接する。町の南西にさんノ岳(六八一・三メートル)、中央に平尾ひらお(二一五・七メートル)岩野いわの(二一八・一メートル)があり、町域の大部分は菊池洪積台地につながる畑作地帯であるが、北東部の合志こうし川流域の旧田底たそこ村一帯は広い水田地帯となっている。そのほか南部の鐙田あぶんだ川、西部の那知なち(木葉川)、中央部の豊田とよだ川流域は迫田形の水田地域となっている。北部の宮原みやばる平島ひらしま両地区は湯量豊富な温泉地帯で、植木温泉(旧平島温泉)として知られる。

植木町
うえきまち

[現在地名]植木町植木

味取新みとりしん町ともいう。もとは下滴水しもたりみず村のうちの豊前街道沿い、熊本府から二里二九町の所に成立した在郷町で、高瀬たかせ往還大津おおづ町道の分岐点である。「井田衍義」元禄七年(一六九四)九月条に「山本味取町之者、鹿子木・味取迄之間往還ニ移百姓いたし、沓わらじを商売いたし度由願出、其通被仰付候事」とあり、翌年三月条には「山本郡植木原ニ新町御立せ相成候ニ付、商売物品々之事、並右之町を味取新町と唱申事相極候事」とある。元禄国絵図には「滴水村之内味取新町」とみえ、「国誌」には、元禄元年に駅路として構立されたとあり、ほぼ元禄初年頃から発達したものと思われる。七枚立の高札場が設けられ、手永会所も置かれ、宝永元年(一七〇四)には在町奉行が置かれた(熊本藩年表稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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