椀久物(読み)わんきゅうもの

改訂新版 世界大百科事典 「椀久物」の意味・わかりやすい解説

椀久物 (わんきゅうもの)

歌舞伎狂言舞踊人形浄瑠璃の一系統。大坂堺筋の豪商椀屋久右衛門が新町遊廓で傾城松山太夫にうつつをぬかし,金を入れ上げたため座敷牢に入れられ,発狂して放浪の末,1677年(延宝5)に水死したという実説にもとづく。当時流行した小唄が《落葉集》に収められており,井原西鶴も小説《椀久一世の物語》を書いている。歌舞伎化では,七周忌にちなんで84年(貞享1)大坂で大和屋甚兵衛が演じたのが最初らしく,椀久生き写しと好評を博した。江戸では86年三国彦作が《椀久浮世十界》を上演し,京でも90年(元禄3)都万太夫座で大和屋甚兵衛が《傾城袖の海》と題して演じた。人形浄瑠璃ではやや遅れ,1709-10年(宝永6-7)の紀海音《椀久末松山》にはじまり,そのあと,10年に《椀久熊谷笠》,33年(享保18)に《元旦金歳越(こがねのとしこし)》が出たにとどまる。椀久が狂乱し松山の幻を追うさまは舞踊に適していたため,戯曲としてよりは所作事として脚色されることが多くなった。現存するものでは,一中節の《椀久道行》(《椀久末松山》の道行),長唄の《二人(ににん)椀久》《一人椀久》,常磐津の《三面(みつめん)椀久》《新曲椀久》,清元の《幻(まぼろし)椀久》などがある。明治以後の脚本では,初世市川右団次が演じた《盟約誓十徳(にせかけてちかいのじつとく)》,初世中村鴈治郎の《椀久末松山》(渡辺霞亭作),6世尾上菊五郎の《椀久末松山》(岡村柿紅作),7世沢村宗十郎の《椀久》(田村西男作),12世片岡仁左衛門の《椀屋久兵衛》(真山青果作)などがおもな作品である。たいてい節分の豆まきに金貨銀貨をまきちらす豪遊ぶりを見せ場とする。また,狂乱の場を舞踊化しているものも多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「椀久物」の意味・わかりやすい解説

椀久物
わんきゅうもの

歌舞伎舞踊および日本音楽の一系統。大阪の豪商椀屋久右衛門 (役名は久兵衛) が新町の遊女松山太夫に入れ込んで,豪遊のはてに座敷牢に幽閉され,発狂して牢を抜け出し町をさまよい歩いたという実話を取り入れたもの。浄瑠璃では,紀海音作の義太夫『椀久末松山』と1世都太夫一中作曲『椀久末の松山』 (上中下の3巻) があるが,前後関係は明らかではない。一中節の下巻「椀久狂乱道行」が現在に伝わるほか,今日の代表的なものには,常磐津では,3世および4世中村歌右衛門が上演した『三面 (みつめん) 椀久』 (俗称『歌右衛門椀久』) や,素浄瑠璃として語られる3世常磐津文字兵衛作曲の『椀久色神送』,清元では,5世清元延寿太夫作曲の『幻椀久』がある。舞踊では,最も人気の高い長唄『二人椀久』のほか,1世中村富十郎が踊った『一人椀久』 (『四季の椀久』) を藤間流が伝え,また井上流でも『椀久』として上演される。

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