椀久末松山(読み)わんきゅうすえのまつやま

精選版 日本国語大辞典 「椀久末松山」の意味・読み・例文・類語

わんきゅうすえのまつやま ワンキウすゑのまつやま【椀久末松山】

[一] 浄瑠璃世話物三段紀海音作。宝永七年(一七一〇)以前に大坂豊竹座初演椀久物代表作後世の椀久物に大きな影響を与えた。上の巻の豆板まき、下の巻の狂乱道行などが有名。
[二] 一中節。三段。作者不明。初代都一中の語り物で、(一)を少補したもの。道行椀久。
[三] 歌舞伎脚本。三幕。岡村柿紅作。明治四五年(一九一二東京市村座初演。(一)の改作

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デジタル大辞泉 「椀久末松山」の意味・読み・例文・類語

わんきゅうすえのまつやま〔ワンキウすゑのまつやま〕【椀久末松山】

浄瑠璃。世話物。三段。紀海音作。宝永7年(1710)以前、大坂豊竹座初演と推定。豪商椀屋久右衛門と遊女松山との情話に取材したもの。→椀久
岡村柿紅による歌舞伎狂言を脚色したもの。明治45年(1912)、市村座にて初演。

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改訂新版 世界大百科事典 「椀久末松山」の意味・わかりやすい解説

椀久末松山 (わんきゅうすえのまつやま)

(1)人形浄瑠璃。世話物。3巻。紀海音作。1709-10年(宝永6-7)ころ大坂豊竹座初演。大坂新町の太夫松山を溺愛,家産を傾けて水死したと伝えられる大坂の豪商椀屋久右衛門の生涯を劇化。新町の揚屋で節分の夜に一分金をまきちらして豪遊していた椀屋久兵衛は,親の久右衛門に勘当され,舅義右衛門に引き取られて座敷牢に入れられた。ひそかに訪れた恋人の松山は久兵衛の妻おさんの真情に義理を立て,久兵衛との縁切りを承知した。狂乱して町々を狂い歩いた久兵衛だが,最後に救われ,松山と結ばれた。(2)一中節の曲名。世話物。作者不詳。3巻。1709-10年ころ成立。詞章は(1)とほとんど同一で,成立の前後関係が問題とされているが,おそらく(2)が先行か。(3)戯曲。2幕5場。渡辺霞亭作。1906年3月大阪中座初演。久兵衛を初世中村鴈治郎,松山を4世中村芝雀(のちの3世雀右衛門)が演じた。玩辞楼十二曲の一つに選ばれたもので,久兵衛が禁酒を破って酒乱になり,小判をまきちらすところが見せ場。2世鴈治郎,2世中村扇雀に受けつがれている。(4)戯曲。2幕3場。岡村柿紅作。1912年1月東京市村座初演。久兵衛を6世尾上菊五郎,松山を8世尾上芙雀(のちの3世菊次郎)が演じた。紀海音の浄瑠璃の上の巻と下の巻を劇化。下の巻狂乱の場は,清元と竹本を使って半舞踊劇に仕立てたもの。
椀久物
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「椀久末松山」の意味・わかりやすい解説

椀久末松山
わんきゅうすえのまつやま

浄瑠璃。世話物。3巻。紀海音作。宝永7 (1710) 年大坂豊竹座上演の記録がある。大坂の商人椀屋久右衛門が遊女松山と契ったが,その豪遊のはてに勘当を受け,座敷牢に入れられ発狂して延宝5 (1677) 年に死んだという実話をもとに,椀屋久兵衛と改めて戯曲化された。歌舞伎では,貞享~元禄年間 (84~1704) に大和屋甚兵衛の当り芸となり,その小唄が巷間で流行した。また井原西鶴にも貞享2 (1685) 年刊の浮世草子『椀久一世の物語』の作がある。 (→椀久物 )

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「椀久末松山」の解説

椀久末松山
わんきゅう すえのまつやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
岡村柿紅
初演
明治45.1(東京・市村座)

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