精選版 日本国語大辞典 「森」の意味・読み・例文・類語
もり【森】
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樹木の生い茂った所。杜とも書かれる。一般に林より規模が大きく,より高い木が多いものをいう。日本人が森という場合は,例えば〈鎮守の森〉のように,木が高く内部がうっそうと茂っていて,一種の神秘性を感じさせるようなものを中心に表現している。かつては〈森〉よりも〈山〉〈林〉の用語が多用され,近世各藩の管理する森林は〈御林(おはやし)〉〈御山(おやま)〉であり,村民が利用する森林は〈村持山(むらもちやま)〉〈郷林(ごうばやし)〉であった。また水源涵養(かんよう)林は〈水林(みずばやし)〉とか〈田山(たやま)〉と呼ばれ,海岸の防風・防砂林は〈風除林(かぜよけばやし)〉とか〈砂留山(すなどめやま)〉と呼ばれていた。明治期以後に外国語の訳語としてWald(ドイツ語),woodに〈森〉をあてたのが見られるようになった。しかし,植物学や林学では〈森林〉と呼ばれることが多いし,森林を類型化した場合の呼名にはつねに〈林〉が使われる。
→森林
執筆者:岩槻 邦男+筒井 迪夫
列車や車でヨーロッパを旅行すると,都市近郊に意外に森林が多いこと,それもいかにも整然と,樹木がまっすぐに伸びている感じの森林が多いことが目につく。〈もり〉ということばに,普通,比較的小規模な〈社の杜〉や簡単には近寄れぬ山林を思い浮かべる日本人は,ヨーロッパでは森がより身近な,環境文化の重要な一要素をなしているとの思いをいだくであろう。
もっとも,国土に占める森林面積の比率でいえば,〈森と湖の国〉フィンランド(69.2%)以外,ヨーロッパ各国はおしなべて日本(67.3%)よりその比率が低いのである。自然条件が特殊なアイスランド(1.2%)は別としても,イギリスやオランダはともに8.3%にすぎず,スウェーデンの58.9%以外はおおむね20%台ないし30%台(イタリア20.9%,フランス26.9%,スペイン29.6%,スイス26.0%,旧西ドイツ29.0%,旧東ドイツ29.3%,ポーランド29.5%,オーストリア39.0%など)である。針葉樹と広葉樹の比率は,高度と緯度が高まるにつれ前者が増えるのが普通であるが,ヨーロッパ全体としては大体3対2と推定され,旧ソ連邦(約3対1)や北アメリカ(約2対1)ほどではないにしても,明らかに日本の場合より高い。マツの類ですら蟠竜(はんりよう)というより帆柱のようにすっくと立つヨーロッパではあるが,針葉樹の優位と面積のわりに豊富な森林という印象とは,単に緯度の高さやアルプス山脈による植物相の違いといった地理的要因だけではなく,長い開墾の歴史と植林事業という社会的要因をぬきにして考えることはできない。というのは,P.C.タキトゥスが〈森林に覆われうす気味の悪い〉と伝える中部ヨーロッパは,民族大移動の時代以来,森林面積が約1/3に減ったと推定されるからであり,しかも開墾のおもな対象となったのは,山地および高緯度の針葉樹林ではなく,肥沃な平地の広葉樹林帯だったからである。例えば東ヨーロッパに現在比較的残されているオークとブナ類(シデなど)の混交林は,かつては北ドイツ,デンマーク,ベルギー,イギリスといった,今日比較的森林に乏しい地域にまで広がっていたのだが,今ではすっかり姿を消し,ヨーロッパアカマツがかろうじてその代役を務めている。カバノキ,トネリコ,ポプラ,ときにはオークとすら混交林をなすほど適応性の強いヨーロッパアカマツは,かつてのヨーロッパの代表的樹木ヨーロッパブナにかわって,今日ヨーロッパで最も広範囲に見られる樹種である。オークあるいはヨーロッパナラ(夏ナラ)の森もまためったに見られぬものとなった。中世においてそれはすこぶる珍重されたのである。一つには秋その森にブタを放ち,どんぐりを存分に食わせ太らせるためであったし,一つにはその堅固な材質を建築用材として役だてるためであった。しかし飼料用穀物やジャガイモの栽培によって養豚上の意義が減ずるとともに,造船用材など需要が急激に高まった結果,長い生長期間を必要とし植林の難しいオークの森は乱採の犠牲となったのである。
オークやブナ,カンバなど広葉樹の森は古くは〈白い森〉と呼ばれていた。それに対して〈黒い森〉とは針葉樹の森をさしていたが,今日〈シュワルツワルトSchwarzwald(黒い森)〉といえば,ドナウ川の源流をなす,南西ドイツの山林地帯の名称となっている。その代表的樹種が針葉樹のモミとドイツトウヒであり,しかも北ヨーロッパの国々のドイツトウヒの森が緯度と日照の関係から〈針のように〉細長く生長するのに対し,うっそうと茂り巨木をなすからだともいう。俗に赤モミとも呼ばれるトウヒこそ,林学が盛んなドイツにおいて過去約200年間に最も多く植林されてきた樹種で,現在,旧西ドイツの森林面積の40%以上を占めている。寒気や酸性土壌に比較的強く,植林も容易で,木材としても評価が高いからだが,欠点は高木のわりに根が浅いため風害に弱いことである。森の巨人が嵐とともに荒れ狂いモミやドイツトウヒの大木を根こそぎに倒す,という言い伝えがシュワルツワルト地方に昔からあったが,同一種の植林によって樹高のそろった一斉林では,強風による根返り(倒木現象)の被害が混交林よりもはるかに大きいことが近年も実証されたために,ブナなどの混交林の育成も含めさまざまな植林方式が模索され実験されている。しかし風害以上に今日焦眉の問題となっているのは,工業化社会のもたらした酸性雨その他さまざまな原因による森林の被害,とくに針葉樹の枯死現象であろう。
〈もり〉は古代にあっては異教的祭祀の場あるいは神域であった痕跡がヨーロッパ各地に残されている。中世にあっても森はなお不気味なもの,恐ろしい所であり,町と町,集落と集落を隔てる障害であり,無数の小さな世界の境界であった。〈四つの森の彼方へ〉とはその小世界からの追放を意味したのである。しかし,ガラス製造など木材を大量に消費する産業が発展する近世に至ると,森林は急速に神秘性を失い,人間はこれを侵すことを毫(ごう)も恐れなくなった。その結果もたらされたものが,18世紀末におけるヨーロッパの森の危機的状況である。林学という学問はそれを契機に興り,ロマン派に代表される森林賛美もまたそれを契機に高まっている。立入りの自由な,都市民の憩いの場であるヨーロッパの森林に迫りつつある現代の危機がいかに回避されうるか,今後の課題であるといえよう。
執筆者:新井 皓士
ロシアは森の国であり,森は古くからロシア人の生活の中で重要な役割を演じてきた。東スラブ人の最初の国家はキエフ・ロシアと呼ばれ,現在のウクライナ地方を中心に形成されたが,ステップの遊牧民の圧迫を受けて,12~13世紀からロシア人の政治的重心は,キエフの北東にあたる森に覆われたボルガ川上流に移行した。モスクワを含むこの地方は当時から〈森の中の地〉zales'eと呼ばれていた。16~17世紀にロシアを訪れた西ヨーロッパの旅行家たちは,国境からモスクワまでまばらな集落と焼畑の耕地をのぞいて森がとぎれずに続いていたと記録している。その後さまざまな理由から森の伐採が進んだが,それでも現在なお北部ロシアの諸州ではモミ,マツ,カラマツなどの針葉樹林が全面積の40%から60%を占めている。これに対して南ロシアでは,ステップは別としてマツとオークが多く見られて森林面積の割合は20%程度であり,またモスクワを中心とする中部ロシアではマツ,オークのほかにシラカバ,ブナ,ボダイジュなど針葉樹と広葉樹の混合樹林が全面積の30%ほどを覆っている。
古来ロシア人の意識では森は神の贈物であり,古くは所有権が問題にされることはなかった。唯一の例外は野生のミツバチからのみつの採取で,それはモスクワ諸公の重要な財源をなしたので,ミツバチに害を及ぼすような樹木の伐採は固く禁止されていた。また14世紀以降南方からの遊牧民の襲来を防ぐため逆茂木(さかもぎ)を連ねた数百kmに達する防衛線が構築されたことに関連して,この防衛線上に位置する森は,砲兵庁の管轄下におかれて手厚く保護された。ピョートル1世の近代化政策が始まった18世紀の初頭には,艦船の建造が国家的な緊急事とされ,造船用の木材を確保するため,大河の両岸から50km以内,中級河川から20km以内の森は海軍省の所轄とされ,これらの森でのオーク,マツなどの大木をみだりに伐採することは厳禁された。また森の火事については10km以内の住民が消火に駆けつけることが義務づけられた。森林行政が国有財産省に移管されるのは1837年のことである。革命前のロシアでは森の約70%が国有林であった。
少なくとも18世紀の後半に至るまで,ロシア人の生活の大部分が森林地帯で営まれたところから,森はロシア人の民族的性格に甚大な影響を及ぼしたと考えられている。例えば19世紀の歴史家のS.M.ソロビヨフによれば,ヨーロッパは二つの部分,すなわち西方の石の部分と東方の木の部分からなっている。ロシアの貴族が石の城を構えて封建領主として割拠することなく,強大な君主のまわりで従士団を形成するにとどまったことも,また民衆が石の壁をもつ都市をつくらず,しばしば移動して安価な材料で手軽に住居を建て四方に分散する傾向をもったことも,ソロビヨフはロシアの自然的条件から説明している。それは極端に過ぎるとしても,国家形成の初期に森がロシア人を外敵の脅威から守り,彼らに衣食住の材料を与え,その富の源泉となったことは疑いがない。
古代ロシア人は森や特定の樹木を神聖視し,崇拝の対象とした。キリスト教が普及したのちも,ある種の樹木(おもにシラカバ,ヤマナラシ,オーク)には霊力がやどると考えられて各種の儀式が行われたし,森の精レーシーの信仰は民衆の間にながく残った。開かれた畑や草原がいわば明るい表の世界とすれば,暗い森はある意味では裏の世界でもあり,ここへは表の世界から逃亡農奴や脱走兵や宗教上の異端派などが隠れ家をもとめて逃げこんだ。ラージンの乱の指導者ステパン・ラージンは,配下の者たちに教会で婚礼を行うことを禁じ,ヤナギの木のまわりで式を挙げるように命令した。親の認めない結婚をするときには男が女を奪って森に逃げこみ,まる1昼夜を森で過ごすと追及がやみ,男女がはれて夫婦になれるという風習もあった。
近代から現代にかけて,ロシア文学ではツルゲーネフの《猟人日記》,レオーノフの《ロシアの森》,パウストフスキーの《森林物語》などのような森林文学とも称すべき作品が次々と発表されたこと,また森を描いたシーシキンやクインジなどの数多くの絵画,ショスタコービチのオラトリオ《森の歌》などが人気を博していることの中に,ロシア人の森に寄せる格別の感情をうかがうことができる。
執筆者:中村 喜和
〈森〉という字は《釈名(しやくみよう)》によれば,山中の樹木が群がり立つさまをいう。《周礼(しゆらい)》には,山林をつかさどる役人として山虞(さんぐ)と林衡(りんこう)を挙げ,季節による材木の切出しや山林での祭祀,狩猟に関与した。山林は元来,君主と民の共同の利用に供せられたが,戦国時代になると,君主による家産化が始まった。山林を囲いこんでその生産物を掌握するとともに,開墾して公田とすることが始められたのである。そのため,とりわけ華北においては,自然景観に急激な変化が生じたことと思われる。例えば,泰山の祭りに先立って山麓の配林で祭りを行うのが決まりであったが,その祭りに参加した後漢の応劭(おうしよう)は,いくらも樹木は生えていないと述べている。森に関する伝説が中国に乏しいのもこのことと無関係ではないはずであって,桑林における男女のあいびきは,禹王と塗山(とざん)氏の女の話をはじめとして多くの伝説と歌謡を生んだが,ヨーロッパの森の伝説と異なり,明るいイメージが強い。
執筆者:吉川 忠夫
北海道南西部,渡島(おしま)半島の太平洋側に位置する渡島支庁茅部郡の町。2005年4月砂原(さわら)町と旧森町が合体して成立した。人口1万7859(2010)。
森町北東部の旧町。渡島支庁茅部郡所属。人口5129(2000)。地名はアイヌ語に由来するといわれる。渡島半島の内浦湾側,駒ヶ岳北斜面に位置し,主要な集落はほとんど海岸沿いに展開する。古くから漁村として発達し,漁業就業者が26%(1990)と最も多く,水産加工業の就業者も多い。近年はスケトウダラの不漁から,ホタテガイの養殖に切り替える漁民が増えてきた。駒ヶ岳山麓斜面の一部は放牧地や別荘分譲地として利用されているが,大半は原野となっている。1856年(安政3),1929年には駒ヶ岳の大噴火により壊滅的な打撃をうけた。海沿いにJR函館本線が通る。
森町中西部の旧町。渡島支庁茅部郡所属。人口1万5104(2000)。北は内浦湾に面し,東端に駒ヶ岳がそびえる。中心市街はJR函館本線森駅付近にあり,同本線の砂原回りの支線との分岐点で,国道5号線と278号線の分岐点でもある。道央自動車道の森と大沼公園の二つのインターチェンジがある。16世紀初め,箱館,江差の和人がニシン漁のために定住し,漁業集落が発達した。明治初期から大正末期まで対岸の室蘭との間に定期船が運航され,また函館との間に道路も開通し,函館と札幌を結ぶ中継地として発展した。ホタテガイ養殖,水産加工が盛んで,各河川の流域で米作,駒ヶ岳山麓や海岸段丘でカボチャ,スイカ,メロンなどの栽培が行われる。西部の濁(にごり)川上流に開けた小盆地に濁川温泉(純食塩泉,48~85℃)がある。付近では温泉熱を利用して野菜のハウス栽培も行われる。1982年には地熱利用の森発電所(最大出力5万kW)が完成した。
執筆者:奥平 忠志
静岡県西部,周智郡の町。人口1万9435(2010)。北部山地から流れ出た三倉川と吉川が合流して太田川となり,町の中心部を南流する。天竜浜名湖鉄道線が通じる中心の森は太田川の谷口集落で,江戸時代には,信州街道(秋葉街道)の宿場町,物資の集散地として栄えた。北部は大部分が山林で,木材とシイタケの生産が盛んなほか,茶も多産する。中部から南部一帯は川沿いに低地が広がり,稲作とレタス栽培,温室でのメロン栽培などが行われる。また次郎柿の発祥地で,現在ではこの地方の特産物になっている。地場産業の製茶,製材,製瓦などの工場が森地区を中心に立地する。遠江国一宮の小国(おぐに)神社がある。
執筆者:萩原 毅
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…しかし,ここでは熱帯降雨林のような極端に多い樹種と旺盛な生長はない。森林には限られた優勢種が現れて,どちらかというと,こぢんまりとしてくる。これは広い意味でいえば,日本にも続いてくるいわゆる照葉樹林帯である。…
※「森」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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