江戸三座の一つ、森(守)田座の座元および歌舞伎(かぶき)俳優。
[服部幸雄]
(?―1722)2世の弟。1699年(元禄12)3世を継ぎ座元を勤める。のち3世坂東又九郎。
[服部幸雄]
(1759―1814)5世の子。1783年(天明3)8世を継ぎ、座元と俳優を兼ねた。
[服部幸雄]
(?―1851)3世坂東三津五郎(みつごろう)の子。坂東三八が1830年(天保1)森田家を相続して10世勘弥となる。
[服部幸雄]
(1800―63)4世坂東三津五郎の後名。1850年(嘉永3)11世を襲名した。56年(安政3)7月櫓再興にあたって「森」の文字を「守」に改めた。
[服部幸雄]
(1846―97)明治期の興行師。守田座の帳元中村翫左衛門(かんざえもん)の子。1863年(文久3)守田家の養子となり、翌年12世を継ぎ座元となった。古河新水の名で狂言作者を兼ねた。72年(明治5)他座に先駆けて劇場の市中進出を果たし、新富(しんとみ)町に守田座(のち新富座と改称)を新設した。劇場建築の様式や観客制度の近代化、俳優の社会的地位の向上などに功績を残した。政・財・学界の有力者と広く交わって意見を徴し、9世市川団十郎と提携して演劇改良運動の推進者となった。
[服部幸雄]
(1885―1932)専業の俳優。12世の三男。1906年(明治39)13世を襲名。古風な容姿に品格を備え、古典狂言の和事(わごと)を得意にした一方、新作や翻訳劇にも意欲を示し、大正時代に研究劇団文芸座を創始した。
[服部幸雄]
(1907―75)13世の甥(おい)で養子となる。4世坂東玉三郎(たまさぶろう)、3世しうかを経て、1935年(昭和10)14世を継ぐ。容姿と品格に恵まれ、和事系の二枚目の役を得意とした。晩年には国立劇場における通し狂言の上演に積極的に取り組み、優れた成果を残した。
[服部幸雄]
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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