森本右近太夫(読み)もりもとうこんだゆう

世界大百科事典(旧版)内の森本右近太夫の言及

【アンコール・ワット】より

…彼女らは〈アプサラス(舞女)〉もしくは〈デーバ(女神)〉とみなされ,すなわち本尊に対する霊をなぐさめる供養女たちで,1700体以上数えられている。さらに,聖殿内にはかつて1632年(寛永9)にここを訪れた日本人の森本右近太夫の墨筆の跡があったが,1970年代の戦乱中に,惜しくも損傷した。【伊東 照司】。…

【カンボジア】より

…なお16世紀から17世紀初めに,プノンペンやピニャールに日本人町ができ,最盛期には300~400人が居留していた。また,森本右近太夫一房(加藤清正の旧臣の子)がアンコール・ワットを祇園精舎と考え,1632年にはるばる参詣していたことが,回廊に残された落書によってわかる。
[フランス植民地時代]
 1863年フランス領コーチシナ総督グランディエールはウドンの王宮に乗り込み,ノロドム王を説得して保護条約に署名させた。…

※「森本右近太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」