森(もり)(読み)もり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森(もり)」の意味・わかりやすい解説

森(もり)
もり

一般的には山林あるいは樹叢(じゅそう)をさす。森というとその類語である「林(はやし)」ということばがまず頭に浮かぶが、日本ではかつてこの二つがかなりはっきり区別されていたようである。一般には比較的人里に近い森林のうち自然にできた森林、あるいはそれに近いものを「森」とよび、森になんらかの形で人手を加えることによってできた樹群を「林」とよんでいたらしい。したがって、たとえば鎮守(ちんじゅ)の森は「森」であって「林」ではなく、逆に雑木林針葉樹の植林地はいかに広範囲にわたっていても「林」であった。「林」の語源は「生やす」だと考えられている。また農学博士四手井綱英(しでいつなひで)(1911―2009)の『もりやはやし』(1974)によれば、かつて獣を追い、キイチゴなどの植物の実や種子を集めた所が「森」であり、焼畑によって森林を切り開いた跡に成立した二次林が「林」ではなかったかという。ただこの二つの区別は現在ではかならずしも明確ではなくなり、原生林とか天然林、あるいは照葉樹林ブナ林とかいうように、自然に近い森林についても「林」の語が用いられるようになりつつある。このほかでは経済林のみを「林」とする考えもある。

 一方、「森」は山岳地域の森林をさし、「林」は平地あるいは里山に広がる樹群をさすという考え方もある。これには四手井の見方も加味されているように思われるが、この場合でも「森」の範囲は人里に比較的近い部分に限られていたようである。そして一般人の生活にあまり関係のない奥地の森林は単に「山」とよばれてきたらしい。

 この「森」と「山」の使い方はドイツあたりともよく似ている。ドイツにはシュワルツワルトSchwarzwald(黒森)とか「チューリンゲンの森」とかチェコ国境にかけての「ボヘミアの森」などといった有名な森Waldがいくつかあり、いずれもかつては深い森林に覆われていた。ただ標高は1000メートルは超えず、人の踏み入る場所であったのである。1000メートルを超えるような高地は「山地Berg」とよばれ、両者ははっきり区別されていた。日本と違うところは、「森」が単に樹木の生育地というよりも一つの地域名に拡大されている点で、シュワルツワルトなどは長さが100キロメートルを超えており、低い山脈の意味を備えている。

 なお、日本の奥羽山脈北部には狐森(きつねもり)、源太森(げんたもり)のように森のつく地名が多い。これは樹木に覆われた一つの高まりをさしており、「盛(もり)」、つまり盛り上がった地形から生じたのではないかと考えられている。

[小泉武栄]

民俗

人間が開発した居住地、農地、原野などに対して、山林の状態が維持されているところに意味がある。日本では古くから神を祀(まつ)る樹叢を森とよぶ習慣がある。『万葉集』にも「神社」あるいは「社」と書いてモリと読む例がある。「社」は中国で土地の神を祀る樹叢の意で、村を鎮護する神の性格がある。日本では、村の中の樹叢といえば、たいていは神社の境内である。「鎮守の森」という語は、その伝統をよく表している。琉球(りゅうきゅう)諸島では、神社に相当する聖地を森とよぶ。樹叢があり、普段、手を加えることを禁じている。神聖な樹叢をモリとよぶ土地は多く、岐阜県にも神社をモリという例がある。

 ヨーロッパでも、キリスト教信仰以前には、各地に聖なる森の信仰があった。リトアニアでは、聖なる森での狩猟は禁じられ、人間もここでは人に追われることはなかった。人間の世界に対する自然の世界である。その森で宗教儀礼が行われたのは、森が人間と自然との接点であったからである。チュートン語の「神殿」を表す語から、チュートン人(テウトニ人)の最古の聖地は自然の森であったと推定されている。ケルト人も聖所を森の中に設けた。ケルト語でも、小さな森、林の空地に由来する語が聖所を意味している。森林を支配する神霊の信仰は、多くの民族にみられる。森林地帯で生活するウラル・アルタイ語族の諸民族には、森の主(ぬし)の信仰が発達している。森の主は「森の人」ともよばれ、人間の姿をしていることが多く、狩猟や牧畜を守護するという。これは人間の領域と自然の領域が森で重なり合っている例である。森の人の観念は、ヨーロッパでは森の小人として現れており、小人は自然のなかのもうひとつの人間である。森は人間の世界の源泉の世界で、西アフリカには、人間に宗教を教えたのは森の小人であるという伝えもある。源泉である自然と、人間が獲得した文化が、精神的に交渉する技術が宗教であった。

[小島瓔

人間生活と森

森は食糧となる動植物や燃料を供給し、水の流れを制御するなど人類にとっては切り離せない存在である。しかし、人類の祖先が森林地帯での樹上生活から疎林地帯での直立二足歩行生活に移行して以来、森は日常生活の場ではなくなった。見通しの悪い森の中は不安であり、魅力的な資源が豊富に眠っている一方で、不可解な力が宿っていると感じられる。集落を日常の世界または人の世界とし、森をそれと異なる世界として対置する考え方は普遍的にみられる。それは森を生業の場とする森林狩猟民でも同様である。たとえば極北の狩猟民は、森はもう一つの世界であり、その中で人々がこの世の人間と同じ生活をしていると考える。この世の人々とあの世の人々は相互依存関係にあり、森での狩猟は単に食糧や生活物資を得るための手段ではなく、森の人々との交流という神聖な行為である。狩猟活動に大きな誇りをもち、種々の禁忌(きんき)が設けられているのもそのことに起因する。たとえば、狩猟用具は女性の手に触れさせてはならず、男が狩りに出ている間、集落の留守を守る者は大声を出したり、髪をとかしたりしてはならない。他方、狩人(かりゅうど)も森の中ではつねに居ずまいを正し、ことば遣いも改める。これらは恩恵をもたらす森の人々に対する配慮である。また熊(くま)送り(熊祭)などの狩猟儀礼は彼らへの感謝である。そして、森の人々もそれにこたえて獲物を与える。旧石器時代から熊祭などが行われていたところをみると、このような考え方は非常に古くから普遍的にあったといえよう。

 農耕、牧畜が始まり、生産活動の大部分が森の外側に置かれるようになると、森はいっそう日常の場から切り離され、神聖視され、畏怖(いふ)される。森は邪悪なものをはじめさまざまな精霊のすみかとされ、みだりに入ることを避ける。しかし他方、聖地でもあり、森に入ることによって浄化されるという考え方も加わる。たとえば、ヨーロッパでは森に逃げ込んだ者は権力からの訴求を免れるという考え方があり、ロビン・フッドのように森に入って再起を図る貴人の伝説もある。日本でも国土の67%ほどが森林に占められていたために、森はことのほか重要であり、また神聖視される。森に覆われた山を御神体として崇拝するばかりでなく、神社の神域も「もり」とよばれる。農耕、牧畜が始まって以来、森は農地や牧地の開墾、木材資源の開発、そして森に対する畏怖心の軽減のために世界各地で一貫して減少してきた。しかし、森林破壊によって滅亡したと考えられる文明もあり、森はやはり人類にとって物心両面で不可欠な存在である。

[佐々木史郎]

『四手井綱英著『もりやはやし』(1974・中央公論社)』『ジョン・スチュアート・コリンズ著、福本剛一郎訳『森、自然と人間』(1979・玉川大学出版部)』『大島襄二著『森と海の文化』(1980・地人書房)』『四手井綱英・林知己夫編著『森林をみる心』(1984・共立出版)』『稲本正文・姉崎一馬写真『木はいきている 森林の研究』(1985・あかね書房)』『四手井綱英著『森林』全3冊(1985~2000・法政大学出版局)』『信州大学林学科編『世界の森林を歩く』(1987・都市文化社)』『堤利夫著『森林の生活 樹木と土壌の物質循環』(1989・中央公論社)』『稲本正文・姉崎一馬写真『森の旅 森の人――北海道から沖縄まで日本の森林を旅する』(1990・世界文化社)』『西口親雄著『新林への招待』新装版(1996・八坂書房)』『安田喜憲著『森の日本文化――縄文から未来へ』(1996・新思索社)』『大場秀章著『日本森林紀行 森のすがたと特性』(1997・八坂書房)』『安田喜憲著『日本よ、森の環境国家たれ』(2002・中央公論新社)』『井上真・桜井尚武・鈴木和夫他編『森林の百科』(2003・朝倉書店)』『只木良也著『森の文化史』(講談社学術文庫)』

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