棗田村(読み)なつめだむら

日本歴史地名大系 「棗田村」の解説

棗田村
なつめだむら

[現在地名]東部町大字あがた

田中宿の北、千曲川の支流三分みわけ川と求女もとめ川の間にある村。村を南北海野うんのより禰津ねつへ通ずる古道が通っている。東と南は田中村、西は長坂ながさか村、北は三分村と境を接する。棗目田村とも書く。求女川の東にむけ屋しき・番匠田・構の前・道またぎ等の地名を残す一帯は、中世土豪夏目田氏の居館跡と推定される。

古くは禰津氏が領有したと伝えるが、天文一〇年(一五四一)武田氏・諏訪氏・村上氏の連合軍による海野攻め後、村上氏の勢力下に置かれ、天文二二年武田氏の領有となる。武田氏滅亡後は真田氏の領有となり、元和八年(一六二二)より甲府徳川忠長領、寛永元年(一六二四)に禰津旗本領となって廃藩置県に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報