桑名郡(読み)くわなぐん

日本歴史地名大系 「桑名郡」の解説

桑名郡
くわなぐん

面積:九二・七九平方キロ(境界未定)
多度たど町・長島ながしま町・木曾岬きそざき

県の東北端にあり、木曾川長良ながら川・揖斐いび川の木曾三川が伊勢湾に注ぐ河口に位置する。北は岐阜県海津かいづ郡と接し、東は愛知県海部あま郡と接する。西は養老ようろう山脈を隔てて員弁いなべ郡、南は桑名市に接する。揖斐川西岸が多度町、西の揖斐川と東の木曾川に挟まれた細長い島が長島町、木曾川東岸が木曾岬村である。木曾三川の運んだ土砂の堆積したデルタ地帯であるため、海抜零メートルの低湿地が多く、周囲を河川堤、海岸堤で囲んだ一大輪中を形成している。「日本書紀」天武元年六月二六日、壬申の乱途上に「天皇、桑名郡家に宿りたまふ」とある。「和名抄」東急本では「久波奈」と訓じている。

〔原始・古代〕

長島町・木曾岬村は木曾三川の形成した中洲にあるため先史時代の遺跡は発見されていない。多度町でも標高一〇メートル以下の低湿地帯では遺跡は発見されず、多度山(四〇三・三メートル)山麓をめぐる標高一〇メートル以上の地域で、縄文時代の土器片や剥片石器、弥生時代の土器片が表採されている。多度町小山の天王平おやまのてんのうびら尾津平おづびら遺跡は、縄文時代・弥生時代・古墳時代・鎌倉時代の複合遺跡である。

古墳時代になると六―七世紀の古墳群が多度山東麓のいちたに古墳群1号―9号の円墳、宇賀神社うがじんじや古墳1号―3号・長尾ながお古墳・横山よこやま古墳などの前方後円墳・円墳が築かれ、やがて式内社の宇賀神社が鎮座するなど、この東麓一帯は古代氏族の定着した一中心地と思われる。また南側の小山一帯には大久保おおくぼ古墳群1号―16号の円墳があり、また後に式内社小山神社が鎮座するなどもう一つの中心地と思われる。またこの一帯は古代の海岸線であったと思われ、記紀に現れる日本武尊の出発する尾津の港は、小山・戸津とうづ付近に比定され、「延喜式」の東海道榎撫えなつ駅もこの付近と考えられる。

多度山東北麓の柚井ゆい遺跡の泥炭層から「桜樹郷守部春□□□□一斛」と記した平安時代の木簡が出土している。桜樹さくらぎ郷は「和名抄」の「美濃国石津郡桜樹郷」で、現在の岐阜県養老郡上石津かみいしづ町近辺にあたる。現在、条里遺構はまったく残っていないが、神宮寺伽藍縁起并資財帳(多度神社蔵)にある「一条辰田里」は現愛知県海部郡立田たつた村と思われ、「七条二多治比辺里」の南境「小山」は現多度町小山に比定される。八世紀頃の木曾川はどのあたりを流れていたか不明であるが、当時の辰田里は伊勢国桑名郡に属し、辰田里から七条がちょうど小山にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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