桐一葉(読み)きりひとは

精選版 日本国語大辞典 「桐一葉」の意味・読み・例文・類語

きり‐ひとは【桐一葉】

[1] 〘名〙 初秋に桐の一葉が散るのを見て、秋の到来を知ること。転じて、衰亡のきざしを表わすたとえに用いる。桐の一葉。《季・秋》
※俳諧・百歌仙(1756頃)「我宿の淋しさおもへ桐一葉」
[2] 戯曲。坪内逍遙作。明治二七~二八年(一八九四‐九五)発表。同三七年初演。豊臣氏の没落を主題にした史劇。

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デジタル大辞泉 「桐一葉」の意味・読み・例文・類語

きり‐ひとは【×桐一葉】

《「淮南子えなんじ」説山訓から》桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること。衰亡の兆しを感じることのたとえ。 秋》「―日当りながら落ちにけり/虚子」→一葉いちよう落ちて天下の秋を知る
[補説]戯曲名別項。→桐一葉

きりひとは【桐一葉】[戯曲]

坪内逍遥の戯曲。7幕。明治29年(1896)刊、37年初演。豊臣家の没落を描く史劇。

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改訂新版 世界大百科事典 「桐一葉」の意味・わかりやすい解説

桐一葉 (きりひとは)

戯曲。坪内逍遥作。読本体と実演用の2種類がある。はじめ作者は大坂夏の陣後の豊臣氏の末路を,淀君,片桐且元木村長門守,石川伊豆守,大野修理,道軒ら大坂方の人物の交錯する思惑を介して描くという構想を立てた。この梗概を,作者のもとに出入りしていた早大(当時,東京専門学校)英語科の卒業生で,劇作を熱望していた沙石長谷川喜一郎に話し,6場ほどにまとめさせたが意に満たず,結局自身で執筆した。序幕の発表は1894年11月の《早稲田文学》で,〈沙石子稿,春のや補〉となっていたが,95年3月の〈三幕目下,片桐邸の場〉から春のや主人すなわち逍遥の単独名となった。連載完結は同年9月。実演用は1917年6月刊。演劇改良運動に関係した逍遥は,活歴物に異を唱え,新史劇の創造を論じた《我が邦の史劇》を発表(《早稲田文学》1893年10月~94年4月),その範例としてこれを書いた。逍遥によれば,従来の歌舞伎はあまりに夢幻的で荒唐無稽,活歴物はドラマとしてのふくらみを欠くから,今後の史劇は歌舞伎と共通点の多いシェークスピアドラマツルギーを移入して,筋がよく通り,個性的な人物を描くべきだとしたのである。その結果,この戯曲にも《ハムレット》や《マクベス》等の影が見え,淀君その他に見られるような近代的な意味での性格が付与された。一方に批判はあったものの,当時の文壇はおおむねこれを歓迎したが,劇壇は黙殺した。

 初演は1904年3月の東京座で,淀君を中村芝翫(しかん)(のちの5世歌右衛門),且元を片岡我当(のちの11世仁左衛門),長門守を市川高麗蔵(のちの7世松本幸四郎)ほか。この舞台を見た逍遥は,発表当時のいきごみとは逆に,その劇作術の古さにみずから失望した。にもかかわらず,逍遥初のこの戯曲は,松居松葉以下の新しい劇作家の誕生を促し,狂言作者に独占されていた上演脚本の創作を,劇界部外者の文学者がこころみる気運を招いた意味で,近代演劇史上に占める位置は大きい。新歌舞伎代表作として,今日でも上演される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桐一葉」の意味・わかりやすい解説

桐一葉
きりひとは

坪内逍遙(しょうよう)の戯曲。7段15場。1894年(明治27)から翌年にかけて『早稲田(わせだ)文学』に読本体(よみほんたい)として発表。のち1917年(大正6)実演用台帳として改作。当時の活歴劇の無味乾燥さに不満を抱いた逍遙が国劇刷新の意図をもって書いた新史劇で、逍遙の最初の戯曲。豊臣(とよとみ)家の衰運明らかな冬の陣直前の大坂城内。徳川家の策謀に老臣片桐且元(かたぎりかつもと)は事態の打開に腐心する。しかし年若い秀頼(ひでより)と、気位高くヒステリー性の母公淀君(よどぎみ)、これを取り巻く大野道軒ら老臣老女たちの疑心暗鬼、また石川伊豆守(いずのかみ)の軽挙などにより内紛と混乱が生じ、且元は誠忠の木村長門守(ながとのかみ)に後事を託して居城茨木(いばらき)へ退く。雄大な構想のもと歌舞伎(かぶき)の長所を生かした境遇悲劇で、人物の性格にシェークスピアの影響をみる。初演は1904年(明治37)3月の東京座。中村芝翫(しかん)(5世歌右衛門(うたえもん))の淀君、片岡我当(11世仁左衛門(にざえもん))の且元により好評を博し、9世団十郎、5世菊五郎ら名優没後の沈滞した歌舞伎界に新機運をもたらし、新歌舞伎への道を開いたその史的意義は大きい。続編に夏の陣と豊臣家の滅亡を扱った『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』がある。

[菊池 明]

『逍遙協会編『逍遙選集1』複刻版(1977・第一書房)』

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百科事典マイペディア 「桐一葉」の意味・わかりやすい解説

桐一葉【きりひとは】

坪内逍遥の戯曲。史劇,7幕15場。1894年―1895年《早稲田文学》に発表,1904年東京座初演。豊臣家の没落を背景に忠臣片桐且元の苦衷を描く。姉妹編をなす《沓手鳥(ほととぎす)孤城落月》とともに歌舞伎形式にシェークスピアの作劇術を応用したものとされ,近松門左衛門の影響もあるとされている。題名は《淮南子(えなんじ)》群芳譜の〈梧桐一葉落,天下尽知秋〉に由来。新歌舞伎の代表的作品。
→関連項目片岡仁左衛門中村歌右衛門

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桐一葉」の意味・わかりやすい解説

桐一葉
きりひとは

戯曲,歌舞伎作品。坪内逍遙作。初め7段 15場の読本 (よみほん) 体として『早稲田文学』に連載 (1894.10.~95.9.) 。 1904年3月東京座で,中村芝翫 (のちの5世歌右衛門) ,片岡我当 (のちの 11世仁左衛門) ,市川高麗蔵 (のちの7世松本幸四郎) らが初演。実演用台本 (6幕 16場) は 17年6月に刊行された。関ヶ原の戦いののち,徳川家からの難題を切抜けようと苦慮する片桐且元と,猜疑心が強くヒステリー性の淀君を中心に,崩壊していく豊臣家の運命を描いた境遇悲劇。当時の考証に偏した活歴にあきたらず,歌舞伎とシェークスピア劇の融合を試みた野心作であり,個性的な人間を描き出したことで,のちの新歌舞伎に道を開いた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「桐一葉」の解説

桐一葉
きりひとは

新歌舞伎の代表作。坪内逍遥(しょうよう)作。1894~95年(明治27~28)の「早稲田文学」に発表。初演は1904年3月東京座。豊臣家崩壊を,多数の人物の思惑と行動のなかに描く長編。驕慢な淀君,豊臣家を守ろうと心を砕く老臣片桐且元(かつもと),若き木村長門守などが印象的に描かれ,桐の葉が木から落ちるのをみて豊臣家の運命を且元が悟る「片桐邸」,且元と長門守が別れを惜しむ「長柄堤(ながらづつみ)」はたびたび上演される。新史劇の創造をとなえた逍遥は,歌舞伎の手法を用いながら筋の合理的展開と個性的な人物像を描こうと試み,成功した。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「桐一葉」の解説

桐一葉
きりひとは

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
坪内逍遥
初演
明治37.3(東京・東京座)

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旺文社日本史事典 三訂版 「桐一葉」の解説

桐一葉
きりひとは

明治中期,坪内逍遙の戯曲
1894〜95年,『早稲田文学』に連載。片桐且元と淀君との対立の悲劇を描いた新歌舞伎の代表作。

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世界大百科事典(旧版)内の桐一葉の言及

【歌舞伎】より

… そのころ,シェークスピア劇の影響を受け,一方団十郎の〈活歴〉に飽き足らなかった坪内逍遥が中心になり,団十郎の方法とは別の新史劇を創造し,これを新時代の国民演劇にしようという運動を起こした。逍遥が1896年に発表した《桐一葉》は,いわゆる〈新歌舞伎〉の幕あけであった。これ以後,歌舞伎界の外部にいる文学者たちが,歌舞伎の脚本をさかんに執筆するようになる。…

※「桐一葉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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