朝日日本歴史人物事典 「桃川如燕(初代)」の解説
桃川如燕(初代)
生年:天保3.6(1832)
幕末明治期の講談師。桃川派の祖。江戸の根津宮永町に生まれた。本名は杉浦要助。少年時から講談を好み,伊東燕国に入門して国栄を名乗る。数年後夜席の真打となり,程なくして師名を継ぐ。2代目燕国時代は「百猫伝」が評判で,猫燕国が通り名だった。さらに改名して燕玉,燕林から初代桃川如燕となった。一説に酒と女が大好物で,酒を飲む口に女を加えて「如」とし,師名の一字に重ねて如燕としたという。明治期は2代目松林伯円と並ぶ大看板で,たびたび御前講演の光栄に浴した。如燕は「中央新聞」との関係がきわめて深く,有名な「義士伝」をはじめ「徳川外伝流逆浪」「仙石騒動」「朝鮮軍記」「宇都宮釣天井」「暁天星五郎」「妲妃のお百」などの講談速記が本紙または日曜付録に続々連載された。中央新聞社は如燕死すと聞くや,まっ先に美麗な花を墓前に捧げ長年の厚誼に報いた。如燕の名は昭和期までに3代を数え,3代目が5代目神田伯山を襲名している。<参考文献>桃川燕林述『桃川如燕の伝』(綿谷雪編『幕末明治実歴譚』)
(吉沢英明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報