桂田 富士郎(読み)カツラダ フジロウ

20世紀日本人名事典 「桂田 富士郎」の解説

桂田 富士郎
カツラダ フジロウ

明治〜昭和期の病理学者 熱帯病船員病研究所所長



生年
慶応3年5月5日(1867年)

没年
昭和21(1946)年4月5日

出生地
加賀国大聖寺町(石川県加賀市)

旧姓(旧名)
庄田

別名
幼名=幸吉

学歴〔年〕
石川県立金沢医学校(現・金沢大学)〔明治20年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治35年〕,理学博士〔大正3年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔大正7年〕

経歴
ドイツに留学。明治23年岡山に新設の第三高等学校医学部講師となり、病理学、法医学を担当、26年教授となり学校は岡山医学専門学校に昇格。37年地方病解明のため滞在していた山梨県で、ネコの門脈から世界初の住血吸虫体を発見し、“日本住血吸虫”と命名した。大正元年退職し、神戸に熱帯病船員病研究所及び附属病院を設立、所長、院長となった。7年「日本住血吸虫病の研究」で学士院賞を受賞。20年研究所、病院が戦災に遭い郷里に帰って開業した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「桂田 富士郎」の解説

桂田 富士郎 (かつらだ ふじろう)

生年月日:1867年5月5日
明治時代-昭和時代の病理学者
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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