栽培植物(読み)さいばいしょくぶつ(英語表記)cultivated plant

精選版 日本国語大辞典 「栽培植物」の意味・読み・例文・類語

さいばい‐しょくぶつ【栽培植物】

〘名〙 野生種から、利用目的に応じた改良発展をさせて作り上げてきた植物。イネやムギなどにみられるように歴史を通じて、栽培される環境、技術、さらに栽培者の価値観などの相違によって、きわめて多数の型(栽培品種)がみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「栽培植物」の意味・わかりやすい解説

栽培植物 (さいばいしょくぶつ)
cultivated plant

われわれの日常生活をふり返ってみると,毎日の生活が多くの栽培植物に依存していることに気がつく。現在世界中に栽培されている植物は,約2300種にのぼるが,それらは過去およそ1万年の間に世界の各地域でいろいろな時代に,野生の植物から人間の手によって作り出された一群の植物ということができる。栽培植物は人間が肥料を与えたり,病虫害から保護したり,長期間にわたり人間の手によって選択や交雑が行われてきたために,もはや自然状態においては生存できない状態になっているものが多い。また一方,人間の方も,地球上のごく一部の人を除いては,栽培植物なしでは生活できず,栽培植物と人間は相互依存においてのみ生存しうるといっても過言でなく,まさに人間と共生関係にある特殊な植物群といえよう。栽培植物のほとんどのものはわれわれの先祖の手によって,なん千年もかかって営々と作り出され改良されてきた,まさに汗と努力の結晶であり,近代的知識を駆使して野生植物から育種したものでは決してない。その点で栽培植物はもっとも価値の高い文化財といえるであろう。

 栽培植物は分類学的な群や用途ならびに経済的特性などにより,穀類(穀物),類,いも類,蔬菜(そさい)類(野菜),果菜類,果樹類(果物)や,油料植物,飲料植物,香辛料植物,甘味料植物,薬用植物,繊維用植物,飼料用植物,花卉などの観賞用植物,木材用植物などに分類される。しかし花卉などの園芸植物や木材用植物などは,狭義の栽培植物のカテゴリーから外される場合がある。人間の目的によって,実生,葉,茎,根,花序,果実,種子など用いられる部分も多岐にわたっている。

先史時代の人間が狩猟採集しつつ広大な地域を放浪する,非定着性のいわゆる食料収集の生活においては,主要な食料源は動物よりも植物であった。考古学的調査によると,たとえばメキシコでは野生のエノコログサ類が大規模に採集されており,また中東地方では野生のコムギやオオムギが大量に利用されていたことがわかっている。このような生活様式において,利用できる植物についての知識はしだいに蓄積されていったにちがいない。

 とくに生活の場の近くに生育していた植物に対して,先史時代の人々の関心が高まり,役にたつ植物を保護したり,居住地の近くに移植して管理するという行為が行われるようになった。このような段階は野生植物を半栽培した状態といえよう。半栽培化の段階では,人間の生活行動によってかく乱された環境に適応した植物群や,居住地付近の食べ物,ごみ,排泄物などの堆積した場所,つまり窒素源に富むような場所を好んで生活の場とするような陽地性の植物が,まず積極的に利用されたにちがいない。それらは一般的には一つの目的に利用されたのではなく,多くの目的に利用された植物であったと想像される。

 やがてこれらの植物をさらに積極的に人間の生活の場の周辺に植えることにより,それらをしだいに栽培化domestication(この語は動物の場合には家畜化と訳す)するという方向に移行していったものと考えられる。このようにして人間は,自然から得た植物資源に生活を依存する生活から,食料を計画的に生産する段階に到達し,農耕が起源したのである。それで栽培植物の起源と農耕の起源は密接に結びついているといえるであろう。農耕が起こった地域は,人間が栽培化可能な野生植物や,家畜化できる野生動物が分布していた地域であったと考えられる。考古学的発掘調査の結果によれば,人間が農耕生活に入ったのはおよそ今から1万年前の新石器時代であったと推定されている。しかし野生植物の利用から半栽培,さらに栽培植物の成立(栽培化)という過程はきわめて複雑で,明らかに急激に起こったものではなく,漸次発達してきたものであり,農耕の初期にはこれらの段階がかなりの期間重複して存在していたと考えねばならない。

 いろいろな栽培植物のうちでも,もっとも初期に栽培化されたものは穀類やいも類であろう。ムギ,イネ,トウモロコシなどのイネ科穀類の栽培は,一定の時期に土地を耕し,種子をまき,一定の時期に収穫するという1年を通しての農業活動が要請されるので,人間の生活様式は急速に定着化していくことになった。しかし,栄養繁殖を主とするいも類などを主要作物とした農耕が起源した地域では,穀類栽培にみられるような播種(はしゆ)期や収穫期が厳密に規制されておらず,またいも類は穀類にくらべ長期間貯蔵することはむずかしいものが多いので,人間の定着化はきわめてゆるやかに起こったものであろう。

 イネ科穀類を栽培化し,それらを主体とする農耕を始めた地域は,食料生産がより計画的であり,定着生活が始まるにつれ村落共同体をつくり,社会の分業が発達して,それがやがて文化を高め,ひいては文明をはぐくむ原動力となった。つまり人類の文明のあけぼのは,このような穀類栽培を中心とする農耕の起源と密接に結びついていて,メソポタミア,エジプト,インダス川流域の各文明をはぐくんだ原動力はコムギやオオムギであり,東アジアの文明はイネ,アワ,キビによっており,メソアメリカの文明はトウモロコシに依存して発祥したといっても過言ではないであろう。

栽培植物の成立過程を生物学的側面からみると,人間の管理の下における野生植物から栽培型への特殊な進化過程としてとらえることができる。一般に野生の状態から栽培型の初期段階への進化の過程はゆるやかで,漸進的と考えられているので,初期の栽培型を真の野生型や雑草型と明りょうに区別することは困難な場合が多い。しかし種子を利用する栽培植物,とくにイネ科穀類の栽培型の成立は急速な変化過程をともなったと推定される。すなわちイネ科穀類の成立は,野生種の種子を採集し,さらにそれを播種するという,播種→収穫のサイクルを繰り返す過程から始まったと考えられるが,この穀類の栽培化の初期段階において生じた適応的な遺伝的変化として,種子の非脱粒性(非脱落性)の選択はもっとも顕著なものの一つである。

 野生のイネ科植物の種子の脱粒性は自然の種子散布機構と考えられ,成熟したものから穂軸が折れて漸次種子(または種子を含む小穂)が穂から脱落する。このままでは一斉に収穫を行うことは不可能である。そのために,栽培化の過程でまず熟した種子が脱落しない個体が選択されたと考えられる。したがって脱粒性は,穀類においては野生型と栽培型を明りょうに区別する一つの基準となりうるのである。脱粒性は通常1~2対の優性遺伝子の働きによって制御されている形質であるが,この遺伝子の劣性突然変異によって非脱粒性のものを生じるので,この変化は比較的単純な突然変異とその選択によるものと考えられる。たとえばオオムギでは,野生型の脱粒性は2対の優性補足遺伝子によって制御されているが,そのうちのどちらかの遺伝子が劣性突然変異を起こすと,非脱粒性になることが知られている。

 穀類以外の栽培植物を含めて考えると,一般的につぎに述べるような遺伝的変化が野生型から栽培型への進化の過程で認められており,野生祖先種と栽培種の間に多くの形質で顕著な差異を生じている場合が多い。

 1個体当りの収量が増大するにつれて,植物体が大型になり,丈が高くなり,葉が広くなったり厚くなったりし,茎が太くなり,根は大きく肉質になる。このような変化は人間による栽培にとくに適した植物の特徴を示していて,とくに蔬菜,根菜,いも類,果実を利用する栽培植物に顕著である。いも類では地下部の茎(塊茎や球茎)や根(塊根)が顕著に肥大していることはよく知られた事実であり,ジャガイモでは塊茎が,サツマイモでは塊根が肥大し,より多量のデンプンが効率よく貯蔵されるように,植物が選択されてきたことを物語っている。根を利用する根菜類でも同じ傾向がみられ,たとえば野生型のダイコンでは硬い,乾いた細長い根をもつが,栽培型のダイコンは水分や栄養に富む太い根をもつ。そのなかでも桜島ダイコンは最も極端に根部が肥大した品種である。しかしこのような栽培植物は人間が利用する器官の大きさが他の部分に比べて極端に大きくなっており,植物としてはきわめてアンバランスな形態をとった奇形といえるだろう。

 また花序や種子が大きくなったり,種子数が増加したり,1個体につく果実が一様に成熟するようになる。このような変化はとくに穀類において顕著にみられるが,たとえばトウモロコシでは,原始的な栽培型は1本の茎の多くの節に小さな雌穂をつけるが,漸次雌穂のつく節数が少なくなるとともに雌穂は大型となり,さらに1本の茎に1個の巨大な雌穂をつけ,大量の種子を生産するような近代的品種にまで変化してきた。野生のコムギ,オオムギ,イネなどでは生育期の長期間にわたっての分げつと穂の成熟がみられ,これは野生型の植物の種子散布にはつごうのよい生長様式である。栽培型のものはより短期間に分げつが起こり,1株の多くの穂の成熟は一様になり,一定期間に収穫できるような,農耕につごうのよい特徴をもつものに変化している。

 生育の斉一な植物を得るためには,野生植物では適応的な種子休眠性が栽培型では低下していて,斉一な発芽をするように変化している。イネ科の野生種では休眠性は未熟な種子の発芽を防ぎ,また土中に埋没した種子が数年間にわたって徐々に発芽できるようになっており,自然環境の変化に対応した機構がみられる。これに対して栽培型では一般に休眠性が低下していて,播種によって斉一な発芽が得られるようになっており,人間が栽培管理しやすい型が選択されてきたとみてよい。

 栽培植物では限られた個体数で果実や種子が確実に得られるように,有性生殖様式が他殖性からより自殖性へと変化している場合が多く,イネやトウガラシはその例である。

 さらに有性生殖をなくす方向に選択が行われ,その最たるものがバナナである。バナナの野生種は比較的大きな果実をつけるが,その中には硬い種子がいっぱい詰まっていて食用にはならない。バナナの栽培化の第一歩は,単為結果によって種子なし果実のものを選び出したことに始まる。その段階からさらに雌性不稔性が選び出され,さらに完全不稔性のものが選択された。いっぽう,その過程で,倍数体の利用が始まり,三倍体の多くのすぐれた品種群ができ上がっている。

 さらに栽培植物が起源した地域から他の地域へ栽培が伝播(でんぱ)して広がるにつれ,自然的または人為的な選択によって日長性が変化し,耐寒性や耐干性が拡大していった例が知られている。われわれ日本人の食生活にもっとも重要なイネは,東南アジアの熱帯・亜熱帯地域原産の短日植物である。その栽培は現在では北海道にまでおよんでいて,野生祖先種の分布域からは想像もつかないような冷涼な高緯度地方にまで栽培が行われており,栽培型になって耐寒性が賦与されてきた典型的な例といえる。また高緯度地方の栽培イネは短日性が失われて中生になり,長日の夏季の短い生育期間に温度に感応して出穂し成熟する品種になっている。

 また野生種にはしばしば有毒物質や苦味成分が含まれているものがあり,農耕以前の植物収集経済の段階では加熱したり水さらしなどで毒抜きをして利用されてきたものが,栽培化されていくなかで,これらの有害物質や成分がほとんどないものに改良されている。インゲンマメ,ビート,タロイモキャッサバなどにその例が知られている。

 栽培植物にのみ見いだされる特殊な形質の一例は,イネ科穀類の内乳貯蔵デンプンのもち(糯)性である。普通の貯蔵デンプンはうるち(粳)性でアミロース約20~25%,アミロペクチン約75~80%からなっている。この形質が劣性突然変異を起こして生じたものがもち性で,デンプンはアミロペクチンのみからなっている。もち性が知られているイネ科穀類は,アワ,イネ,オオムギ,キビ,トウモロコシ,ハトムギおよびモロコシの7種にのみ限られている。しかもこれら穀類のもち性の地理的分布は,アッサム以東の東アジアに局限されており,東アジアの農耕文化や食生活様式と密接に結びついたきわめて特異な文化的形質ともいえるものである。

栽培植物の起源や類縁関係を明らかにするためには,植物分類学,植物地理学,遺伝学,細胞学のような生物学的分野の分析研究がもっとも重要であるが,このような研究のみでなく,考古学,歴史学,民族学,人類学,言語学のような諸分野からの研究をふまえた総合的な考察によってのみ,初めて真の姿をとらえうるものである。その点で栽培植物の起源を明らかにすることは,人類文化史の重要な一面の解析であるといっても過言でない。

 栽培植物の起源について総合的に論じた最初の近代的研究は,1883年に刊行された,スイスの偉大な植物学者A.ド・カンドルの著書《栽培植物の起源L'origine des plantes cultivées》である。この著書の中でド・カンドルはおのおのの植物が栽培化される前はどのような状態であったか,とくにその発祥地について今まで信じられていた個々の植物についての意見は,ギリシア・ローマ時代にまでさかのぼって訂正すべきであると考えた。そして249種の栽培植物について,その当時わかっていた資料に基づいて,いつごろどの地域で起源したかを論じた。その研究方法はまず植物誌や標本によってどの地域に栽培植物の野生近縁種または祖先種が自生しているかを重視し,これを植物地理学的に調査してその起源地域を決定した。そして祖先種がその地域に固有のものか,あるいは他の地方から移住してきたものかを確かめた。また考古学的発掘によって見いだされた植物遺物の調査を進めるとともに,歴史学的文献の記述によって栽培の年代を知り,旅行家の記録を基にして人間の移動による伝播の可能性について吟味した。またある栽培植物の各地域における方言名を言語学的に検討し,それと起源との関連を比較考察した。また今までに述べたいくつかの異なる学問分野の知見や方法論を用いて,全般的な考察を試みている。

 ド・カンドルは249種の栽培植物をとりあげたが,そのうち200種は旧大陸原産のもので,残りの49種は新大陸に起源した植物である。そしてそのおのおのについて起源地域および栽培化の年代を推定した。ド・カンドルはまた1492年のコロンブスによる新大陸の発見は,多くの栽培植物を地球上のあらゆる国々に伝播させた最後の大事件であったことを強調している。たとえば新大陸発見後のかなり短い期間に,新大陸産のトウモロコシ,ジャガイモ,インゲンマメ,トウガラシ,タバコなどが旧大陸に広く導入され,またコムギ,オオムギ,エンドウ,コーヒーノキなど多くのものが新大陸においても栽培されるようになった。

 栽培植物の起源に関する研究は,ソ連の育種学者であるN.I.バビロフによってさらに発展をみた。これは1926年に出版された重要な論文《栽培植物の起源の中心地Tsentry proiskhozhdeniya kul'turnykh rastenii》の中にまとめられている。彼の方法論はつぎのような手段からなっている。彼はまずカフカス,中央アジア,アフガニスタン,中国の山岳地帯,地中海地域,エチオピア高原,メキシコ,ペルーなどに植物探検隊を派遣して,各地域の栽培植物とその近縁野生種を大規模に調査収集した。ついで,収集した植物について分類学・形態学・遺伝学・細胞学ならびに免疫学的な研究を行い,それに基づいて栽培植物の種や地理的変種ならびにそれらの近縁野生種を明りょうに分け,これらの種や変種の遺伝的変異をくわしく調査し,変異の地理的中心を決定した。そして多数の変種が見いだされた地域をその種の形成された中心地域と考えた。このような研究方法は,植物地理的微分法と呼ばれている。

 この方法によってバビロフは栽培植物の起源中心地には,多数の変異が集積されており,とくに優性形質をもつものが多いことを認めた。そして中心地域を遠ざかるにつれて,自殖や突然変異の結果,劣性形質をもつものが,その栽培植物の起源地域の周辺部,島嶼(とうしよ)部および山岳地帯に隔離されて多く見いだされることを発見した。このようにして彼は世界における八つの主要な栽培植物の起源中心地を決定した。それらは(1)中国大陸,(2)インド,ビルマ(現,ミャンマー),アッサム,(3)中央アジア,(4)近東地方,(5)地中海地域,(6)エチオピア高原,(7)メキシコ,中央アメリカ,(8)アンデス地域である。ここで重要なことは,これらの栽培植物の地理的中心地域が大河の流域ではなくて山岳・高原地帯が多く,それらが互いに高い山脈や砂漠によって隔離されており,おのおのが独立に発達した中心であることを示していることである。

 その後,1952年サウアーC.O.Sauerは《農耕の起源と伝播Agricultural Origins and Dispersals》という著書の中で,栄養生殖様式をもつタロイモ(サトイモ類),ヤマノイモ類,バナナなどの栽培植物が起源した東南アジア島嶼部に,漁労を伴ったもっとも古い農耕が起源したと主張した。また59年G.P.マードックは,《アフリカ--人びととその文化史Africa,its Peoples and their Cultural History》という本の中で,西アフリカのニジェール川流域に,アフリカイネや数種の雑穀,ササゲなどの栽培化を伴った独自の重要な栽培植物起源地域の存在することを,初めて強調した。66年中尾佐助は《栽培植物と農耕の起源》という著作の中で,今までの知見やアジアの広い地域にまたがる独自の植物探検調査に基づいて,世界における四大農耕文化複合,つまり根栽農耕文化,サバンナ農耕文化,地中海農耕文化および新大陸農耕文化の存在を明らかにし,各農耕文化に特徴的な栽培植物群の存在を指摘した。さらにハーランJ.R.Harlanは75年,《作物と人間Crops and Man》という著書の中で,ド・カンドル以来最近までに得られた知見を総合的に考察して,世界における栽培植物の地理的中心地域を六つの地域にまとめている。それらは(1)中東,(2)アフリカ,(3)中国,(4)東南アジア,(5)メソアメリカ,(6)南アメリカである。

ド・カンドル以来約100年間にわたる研究を基礎として,世界における栽培植物の起源中心地域をまとめると,図に示すように,つぎの6地域があげられる。(1)地中海・西南アジア,(2)アフリカ,(3)中国,(4)東南アジア,(5)メソアメリカ,(6)南アメリカである。それぞれの地域で起源した代表的な栽培植物をまとめると表,のようになる。しかし栽培植物によってはまだ十分な研究が行われていないものや,地理的起源についていくつかの説があるものは,たとえばアワやキビのように中国と東南アジアの両地域に記入してある。またその地域で起源したものでないが,他の地域に伝播してから,そこで多様な品種分化を示したものは二次中心地として表示した。たとえば中国のハクサイやアブラナなどである。

 上に述べた栽培植物の六大起源中心地域の特徴を比較するとつぎのようである。

(1)地中海・西南アジア 中東地方を中心に地中海周辺より中央アジアに至る地域で,ここは現在世界の温帯地域で広く栽培されている温帯性の食用植物が起源した重要な地域である。ここはムギ類から供給される炭水化物,マメ類から得られる植物性タンパク質,油料植物からもたらされる植物性脂肪,これらに加えて,この地域で家畜化された草食性で群れをつくるウシ,ヒツジ,ヤギなどから得られる肉および乳製品による動物性タンパク質および脂肪を素材として,きわめてバランスのとれた農耕文化が築き上げられた地域である。考古学的調査の結果では,とくにイラン南西部のザーグロス山脈から,北西部のクルディスターン高原,トルコのトロス山脈の山麓地帯を通り,トルコの中央および西部アナトリア高原とパレスティナまでの地中海東岸に沿って南下した地帯,いわゆる〈肥沃な三日月地帯〉がその中心地域であり,コムギとオオムギを主体とし,ウシ,ヒツジ,ヤギなどの家畜を伴った農耕が今からおよそ1万年前の新石器時代に始まり,それに伴う初期のムギ農耕村落が確立したことが明らかになっている。

(2)アフリカ 西アフリカのニジェール川流域よりサハラ砂漠の南縁をとおり,エチオピア高原にいたる地域である。この地域の特徴はモロコシ,シコクビエ,トウジンビエ,テフ,アフリカイネなど独特のイネ科穀類が起源し,またササゲ,スイカ,オクラ,コーヒー,ヒョウタン,アブラヤシなどが栽培化された。その発祥年代はいまだ明らかではないが,今からおよそ4500年前ころと推定され,ニジェール川流域とエチオピア高原が地域的な起源中心地であったと考えられている。

(3)中国 広大な中国大陸と日本列島を含めた東アジア島嶼部は,栽培植物の起源と分化の一つのセンターと考えられ,この地域の農耕開始期についての研究はまだ不十分であるが,およそ6000~8000年前と推定されている。中国北部はヒエ,キビ,アワ,ダイズなどの起源地と考えられてきた。また地中海地域起源のアブラナ類の仲間やダイコン類が独自の多様な分化を起こした二次的中心地域である。

(4)東南アジア 中国南部,インド亜大陸,東南アジアの大陸部と島嶼部を含む広い地域は,世界でもっとも古い農耕の起こった地域の一つであり,考古学的には不明な点が多いが,今から約1万年前と推定されている。中国南部と東南アジア大陸部の接する地帯はイネの栽培化された重要な地域であり,チャの原産地でもある。キビやアワはインド亜大陸起源ともいわれている。現在世界の熱帯に広く分布するココヤシの故郷は東南アジアであり,そこで栽培化された植物は栄養繁殖をもっぱら行うものが多いことで特徴づけられる。つまりダイジョを中心とするヤマノイモ類,タロイモ,バナナ,サトウキビなどがある。また種々のかんきつ類,熱帯性の果樹,さらにコショウ,ナツメグ,チョウジなどのきわめて重要な香辛料植物の原産地でもある。

(5)メソアメリカ メソアメリカとはメキシコ高原を中心とした中央アメリカ(パナマ地域を除く)をいう。この地域で,新大陸独特の穀類であるトウモロコシが前5000年ころ栽培化された。トウモロコシと対になったものがインゲンマメとカボチャ類である。そのほかトマト,サツマイモ,現在世界中で広く利用されている香辛料のトウガラシやバニララン,さらにワタ(陸地綿)などがあげられる。北アメリカの中北部は栽培植物の起源地域としては重要ではなく,わずかにヒマワリが栽培化されたにすぎない。

(6)南アメリカ おもにアンデス山脈に沿った高原地帯およびその周辺の東斜面の低地が重要な地域である。とくに注目すべきは,デンプン源として重要な2種のいも類,熱帯地域のキャッサバと冷涼な高原地域のジャガイモがあげられる。また双子葉穀類のセンニンコクとキノア,インゲンマメとラッカセイ,セイヨウカボチャ,数種のトウガラシ類,タバコ,ワタ(海島綿),熱帯性のパイナップルやパパイア,飲料植物のカカオなどが栽培化された。またアマゾン地域からもたらされたパラゴムノキは,過去わずか数十年間に近代的な需要のため広く栽培されるようになったもので,栽培植物起源の歴史劇の中で,もっとも新しく,かつ華やかに登場した特用作物の一例といえるだろう。
作物 →有用植物
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「栽培植物」の意味・わかりやすい解説

栽培植物
さいばいしょくぶつ

イネ、ムギをはじめ、豆類、いも類、蔬菜(そさい)類、果樹類、花卉(かき)類、飼料植物など、すべて人間によって栽培されている植物を総括して栽培植物という。栽培植物は野生原種そのままのものもあるが、多くのものでは遺伝学的に野生原種と異なっている場合が多い。

 栽培植物は一般に人間の選択により、野生原種より迅速に成長し、茎も葉も花も大型となる傾向がある。たとえば果樹では、利用部分である果実が大きくなるだけでなく、茎も葉も花も大きくなっている。利用部分の収量を大きくするためには、その背後の植物体全体が強壮で大きくなくてはならないからである。種子を利用する栽培植物、穀類、豆類などで、野生原種の穀類では粒が穂から脱落し、豆類では莢(さや)が裂開するが、これでは収穫に不便である。そのため穀類では粒が脱落せず、豆類では莢が裂開しないように栽培種は改良されている。トマトやトウガラシの果実も野生原種では成熟すると落下するが、栽培種では落下しない。

 穀類、豆類の乾燥した種子に、水、温度、酸素を与えると一斉に発芽してくるが、これはその野生原種にはなかった性質である。野生原種では、成熟した種子には休眠があって、しかも1粒ごとに休眠期間が異なっている。そのため播種(はしゅ)すると、発芽がそろっておこらない。栽培化によって種子に休眠がないようになった小麦、大麦などでは、収穫期に降雨が続くと、穂発芽の被害を受けることになる。このほかおもしろい変異としては、野生原種は雌雄異株であったのに、栽培植物では雌雄同株となったものがある。ブドウとコショウがその例になる。

 栽培植物は一般に非常に多型の遺伝的変異をもつ多くの品種がある。これら品種を特徴づける遺伝子は突然変異か近縁種の交配から導入されたものである。そしてこれら遺伝子の大部分は潜性遺伝子によっている。栽培植物の高度に改良された品種というものは、実は高度に潜性遺伝子が組み合わされているものである。この点からみると栽培植物は、野生種から進化したものというより、退化した植物で、人間に利用される奇形植物というべきであろう。多くの栽培植物では、人間の保護から離れて自然生態系のなかで生きていくことはできなくなっている。イネもムギも全世界的に非常に多様な環境のなかで栽培されているが、こぼれ種から自生の集団をつくった例は一つもない。自然生態系のなかでの生活力がこれほどまで失われるという退化を遂げているわけである。

 栽培植物の歴史は農耕文化の歴史でもある。現在の世界の農業の主力作物であり、また主食でもある栽培植物のムギ類、イネ、雑穀類、豆類、いも類などはいずれも約1万年前の新石器時代のころに栽培化されたもので、青銅器や鉄より人間の歴史のなかで古い存在である。その後の文書のある時代に入ってからは、主食となるような栽培植物は開発されず、そのかわり蔬菜、果樹が栽培化された。花卉と牧草の栽培化はさらに近代のことである。このように主食用の栽培植物の開発は人類史上で1回だけおこったことで、2回目はみられない。

 栽培植物が野生から人間の手によって栽培化された起源地は、地球の上に平均的に分散しているのでなく、かなり特定の地域に集中している。このことに関する1951年ソ連のバビロフによる八大中心地説は、彼の一連のこの方面に関した研究の最終のものであった。またイギリス系考古学者を中心として、農耕文化の発生は西南アジアの豊かな半月弧とよばれる地域に小麦、大麦などを中心におこったとし、その農耕文化がアフリカ、インド、東南アジア、中国などに伝播(でんぱ)して新しい栽培植物が開発されたと考えた。これは農耕文化一元説に基づく栽培植物の起源論である。しかし最近になって、旧大陸、新大陸の考古学、民族学、栽培植物学などが総合され、農耕文化一元説はほとんど学界から消失している。

 農耕文化多元論による栽培植物の起源地は、世界の農耕文化を四大系譜に分割した場合では次のようになる。ヤムイモ、タロイモなどいも類とバナナを中心とする根菜農耕文化の作物は東南アジア大陸部の南部で栽培化されてオセアニアに伝播し、その途中でサトウキビ、パンノキなどが栽培化された。アフリカのサハラ砂漠以南のサバナ帯では雑穀、夏作豆類などを中心とするサバナ農耕文化が生まれ、それに応じる栽培植物が開発された。その農耕文化はインド、中国に伝播し、アワやキビの雑穀、大豆、アズキなどの豆類が開発された。地中海東岸の西アジアではムギ類と冬作の豆類が開発された。また新大陸では中・南米でトウモロコシ、トマト、トウガラシ、ジャガイモなどが開発された。世界的にみて、このように栽培植物は特定の地域に多く起源している。

[中尾佐助]

 栽培植物にはそれぞれの種類に品種があり、種子により栽培されるものと、挿木、接木(つぎき)、株分けなど栄養繁殖によるものがある。種子によるものは主要な形質について遺伝学的に固定していなければならない。しかし両親系統が維持されており、毎年同質の種子が、しかも種子の生産にあまり経費がかからない場合は一代雑種など雑種性の品種であっても、十分経済性のある品種となって取り扱われている。最近の科学の発展に伴う育種技術の進歩により、一代雑種の範囲が広められた。栄養繁殖性の品種は一個体から増殖されたもので、分枝系(クローン)である。したがって遺伝的には雑駁(ざっぱく)なものであると考えられるべきである。また種間雑種や属間雑種なども品種として、栽培されている。

 栽培植物はその利用目的によって食用作物、飼料作物、工芸作物、観葉植物、薬用植物などという名称で分けられ、食用作物はさらに穀物類、豆類、いも類などという名称で細別されている。これらとは別に生産の目的である物質がデンプン、油脂、繊維、糖などの場合、それぞれにデンプン作物、油脂作物、繊維作物、糖質作物という名称もある。したがって、たとえばサツマイモやジャガイモなどはいも類でもあり、食用作物としても取り扱われる。また食用であっても、ハクサイやキャベツは葉菜類、ダイコンやニンジンなどは根菜類、リンゴやミカンなどは果樹類と称されている。観葉植物や薬用植物は栽培され、品種改良などの人為的操作が加えられているが、○○作物とはいわない。デンプン植物とか油脂植物などといった場合は通常は栽培されていないが、デンプンとか油脂を産生している植物をも含めているとみるべきである。

[近藤典生]

『中尾佐助著『栽培植物の世界』(1976・中央公論社)』『N・ヴァヴィロフ著、中村英司訳『栽培植物発祥地の研究』(1980・八坂書房)』『星川清親著『栽培植物の起源と伝播』改訂増補(1987・二宮書店)』『ドゥ・カンドル著、加茂儀一訳『栽培植物の起源』全3冊(岩波文庫)』『中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)』『田中正武著『栽培植物の起源』(NHKブックス)』

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