根釧台地(読み)こんせんだいち

精選版 日本国語大辞典 「根釧台地」の意味・読み・例文・類語

こんせん‐だいち【根釧台地】

北海道東部、根室・釧路の両支庁にまたがる原野。風蓮川西別川、標津(しべつ)川が流れ、低湿地泥炭地大部分を占め、寒冷で未開発地が多い。パイロットファーム(実験農場)がある。

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デジタル大辞泉 「根釧台地」の意味・読み・例文・類語

こんせん‐だいち【根釧台地】

北海道東部、釧路から東の広大な台地。酪農が盛ん。根釧原野

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日本歴史地名大系 「根釧台地」の解説

根釧台地
こんせんだいち

釧路支庁から根室支庁にかけて広がる台地。西は釧路川、北は西別にしべつ(七九九・八メートル)標津しべつ(一〇〇六メートル)俣落またおち(一〇〇四メートル)武佐むさ(一〇〇六メートル)など、東は根室海峡、南を太平洋によって囲まれる。根釧原野ともいうが、開発が進んだ現状を考えるともはや当てはまらない。台地の北部は前述の山々が造った火山山麓面や扇状地群からなり、太平洋沿岸部と根室海峡に面した植別うえべつ川から忠類ちゆうるい川にかけての地域には海成段丘が発達している。

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改訂新版 世界大百科事典 「根釧台地」の意味・わかりやすい解説

根釧台地 (こんせんだいち)

北海道東部,釧路・根室両支庁管内にまたがる標高200m以下の広大な台地。根釧原野とも呼ばれる。地形の上では丘陵地帯,沖積地,山麓台地の三つに分けられる。面積はおよそ5000km2に及ぶ。台地の大部分を占める標高100m以下の丘陵地帯は標津(しべつ)線転換バス路線の標茶(しべちや)~中標津間の南側に広がり,厚さ約2~10mの火山灰層が洪積層の上を覆っている。沖積地は,丘陵地帯に浅い谷を形成しながら東に向かって流れる標津,春別,床丹,西別,風蓮などの河川沿いに見られ,その大部分が泥炭層の湿地となっている。丘陵地帯の北側には火山砕屑物(さいせつぶつ)で覆われた標高100~200mの山麓台地が広がっている。年平均気温5℃程度,8月の平均気温も17℃前後と低温のうえ,夏季は海霧のため日照時間が少なく,年間の無霜日数も120~130日にすぎず,北海道でも気象条件はもっとも劣悪である。そのため長い間不毛の原野として取り残され,開拓が遅れた。

 台地の海岸部の漁村を除くと,台地の開拓はようやく大正末期になって始まり,自由移民が入植して穀類の栽培を行った。しかし,1933-34年の凶作で農民は壊滅的な打撃をうけた。このころから根釧原野開発五ヵ年計画に基づき,畑作から牛馬を中心とした有畜経営への転換が図られるようになった。しかし,本格的な開発は第2次世界大戦後のことで,中でも世界銀行の資金を導入して近代的酪農村を建設しようとした根釧パイロット・ファーム計画が注目される。この開拓事業は建設工事に大型土木機械を使用して,開墾と土壌改良に必要な工期を大幅に短縮するほか,あらかじめ入植者の住宅を用意して,営農の早期安定を目ざした点に特徴がある。工事は1955年から開始され,床丹第2地区187戸,第1地区174戸が入植した段階で,新規入植が打ち切られた。酪農の著しい発展の結果,農地に占める普通畑の比率は5%前後に低下し,しかも比較的冷害に強いジャガイモ,テンサイの作付面積がその大部分を占めている。一方,乳牛頭数は1960年に約4万頭であったが,82年には約23万頭に増加した。乳牛の頭数の増加にくらべて飼養農家が減少したため,専業化,多頭化が急速に進行している。

 台地には主要集落の中標津,西別のほか,川北,計根別(けねべつ),西春別,上春別,厚床,茶内などの小さな市街地根室本線や主要道路沿いに分布し,農村地帯へのサービスセンターとしての機能を果たしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「根釧台地」の意味・わかりやすい解説

根釧台地
こんせんだいち

別称根釧原野は未開発時代のこの地域一帯に与えられた呼称。北海道東部,釧路川以東,根室海峡にかけて展開する広大な台地。面積約 2000km2。標高は 200m以下で,100m以下が大部分を占める。土壌は地力の低い火山灰土,年平均気温は6℃以下,無霜期間は 120~130日。また最暖月の平均気温は海霧の影響が及ばない内陸でも 20℃以下で,自然条件はきびしい。そのため農業は米作が不可能で,畑作も穀類は冷害を受けやすい。台地の開拓は 1907年頃根室海峡に近い台地末端部から始り,27年以後の北海道第2期拓殖計画時代に入ってから,台地中央部の大規模な開拓が行われた。 32年から北海道庁の営農指導方針が穀物中心の畑作から家畜飼養を結合した混合経営に変更された。さらに第2次世界大戦後は草地酪農が盛んになり,北海道の主要酪農地域に発展。 56~67年には別海町で酪農実験集落 (パイロット・ファーム) が建設され,73年からは,台地の南東部で新酪農村建設事業が行われ,台地のほとんどが牧草地となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「根釧台地」の意味・わかりやすい解説

根釧台地
こんせんだいち

北海道東部、釧路(くしろ)川以東から根室(ねむろ)海峡に至る広大な台地。根釧原野ともいう。面積約2000平方キロメートル。標高100メートル以内の台地で、2~10メートルに達する火山灰層が台地面を被覆する特殊な土壌地帯である。標津(しべつ)、春別(しゅんべつ)、床丹(とこたん)、西別(にしべつ)、風蓮(ふうれん)などの主要河川は東方ないし南東方向へ流れ、河谷は泥炭地を形成する。年平均気温6℃、内陸部でさえ最暖月の平均が20℃を割る低温、夏期の多湿、短い無霜期間、低い地力が災いして、穀物主体の畑作は成功しなかったため、北海道庁は1932年(昭和7)から根釧原野開発五か年計画を実施し、畑作、乳牛飼育を結合した混同経営方式を奨励した。第二次世界大戦後、台地の大部分が牧草地に変わり、乳牛を多頭飼育する草地型酪農が発展した。

[古川史郎]

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百科事典マイペディア 「根釧台地」の意味・わかりやすい解説

根釧台地【こんせんだいち】

北海道東部,根室,釧路両地域にまたがる標高200m以下の台地。根釧原野ともいう。火山灰土の低湿地や泥炭地が多く,海岸部は濃霧がかかり作物生育は困難であるが,1954年から世界銀行の融資でパイロットファームがつくられた。内陸部では主畜農業経営が行われる。湿原の一部はラムサール条約の登録地。
→関連項目別海[町]北海道

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