根岸(読み)ネギシ

デジタル大辞泉 「根岸」の意味・読み・例文・類語

ねぎし【根岸】[地名]

東京都台東区北部の地名。江戸時代初音はつねの里といわれた鶯の名所。
神奈川県横浜市中区の地名。日本の洋式競馬発祥の地。

ねぎし【根岸】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「根岸」姓の人物
根岸英一ねぎしえいいち
根岸吉太郎ねぎしきちたろう
根岸鎮衛ねぎしやすもり

ね‐ぎし【根岸】

山のふもとに沿った地帯。
砂質の上等な壁土。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「根岸」の意味・読み・例文・類語

ね‐ぎし【根岸】

[1] 山のふもとに沿った地。
[2] 東京都台東区の北部の地名。江戸時代にはウグイス多く初音の里と呼ばれた。

ねぎし【根岸】

姓氏の一つ

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「根岸」の解説

根岸
ねぎし

金杉かなすぎ村南西部の小名で、古くは別の村であったともいう(風土記稿)。正保江戸絵図では「坂本百姓地」であったが、延宝年間(一六七三―八一)には金杉村に属した(下谷区史)。延宝江戸方角安見図には寄合戸田相模守・真田勘解由信就の抱屋敷がみえる。宝永(一七〇四―一一)頃から幕末まで続く蒔田家の抱屋敷があった(下谷区史)。「風土記稿」によれば蒔田采女抱屋敷は一千五〇坪。天保期(一八三〇―四四)には東叡山御隠殿構芝地の東に奥村右膳、御隠殿の西に野村二郎四郎の抱地があった(下谷区史)。御隠殿は宝暦三年(一七五三)村内杉崎の地四反余を東叡山が買上げて輪王寺宮家の隠居所として造営した(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「根岸」の意味・わかりやすい解説

根岸 (ねぎし)

東京都台東区北部,JR山手線鶯谷(うぐいすだに)駅北東部一帯の地名。上野台の崖下低湿な土地であったが,上野の山を背景とした音無(おとなし)川の清流や四季の田園風景を求めて,江戸時代後期,とくに文政・天保(1818-44)ころには多くの文人が居を構え,〈呉竹の根岸の里〉とよばれた。またウグイスが多かったので〈初音の里〉の称もあった。武家町人が百姓地に住むことを禁じた天保改革の華奢厳禁の令以来,一時さびれたが,明治になって,吉原,浅草,入谷などの繁華な地に近いこともあって再び資産家や俳人正岡子規,画家中村不折らが住むようになった。現在はおもに住宅地であるが,旅館や社寺も多い。古くからある豆腐料理専門店〈笹乃雪〉は有名。また不折の旧宅は書道博物館となり,和漢の書道史資料1万1000点を収蔵・展示している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「根岸」の意味・わかりやすい解説

根岸【ねぎし】

東京都台東区北部地区。江戸時代から閑静な里として知られ,ウグイスの名所であった。明治以降も正岡子規中村不折ら文人や作家が多く住んだ。現在も住宅地区で,JR鶯谷駅がある。
→関連項目行人坂

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「根岸」の意味・わかりやすい解説

根岸
ねぎし

神奈川県東部,横浜市中区と磯子区にまたがる工業地区本牧岬を構成する台地の南西斜面にあり,根岸湾にのぞむ。横浜の開港後,住宅地として開け,日本最初の洋式競馬場がつくられた。競馬場跡は森林公園となっている。海岸は地先の全面が埋立てられ,石油基地が立地する。

根岸
ねぎし

東京都台東区北部にある地区。地名の由来は,上野台地の崖下の地であることによる。江戸時代には閑静な別荘地として知られ多くの文人が住み,明治以降も正岡子規中村不折などが居住した。現在も住宅地となっている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android