日本大百科全書(ニッポニカ) 「核酸」の意味・わかりやすい解説
核酸
かくさん
nucleic acid
生物にとってもっとも重要な化学物質で、核酸塩基(プリンおよびピリミジン塩基)とペントース(五炭糖で、リボースまたはデオキシリボース)とリン酸からなる高分子物質。遺伝、生存、繁殖になくてはならない物質で、地球上の生物はもっとも簡単なウイルスから人間に至るまで、核酸を土台として生きている。
[笠井献一]
研究の歴史
1869年にスイスのミーシャーJ. F. Miescher(1844―1895)は、細胞の核にどのような物質があるのかを知りたいと考え、核を多く含む材料として化膿(かのう)した傷口にたまる膿(うみ)を選び、当時まだ知られていなかった物質を取り出し、ヌクレインと名づけた。ヌクレが核を表す。これはリン酸を含む酸性の有機化合物で、その後にサケの精子、動物の胸腺(きょうせん)、酵母、そのほか多くの生物材料から発見され、核から発見された酸性物質ということから、1889年に核酸と名づけられた。のちになって核酸は核ばかりでなく細胞質中にも存在することが知られた。化学的研究が進むにつれて、デオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)の二つのタイプがあることがわかった。あらゆる生物に核酸があることが知られてきたが、このものの重要性がはっきり認識されるようになったのは、1935年にアメリカのW・M・スタンリーが純粋のタバコモザイクウイルスを得るのに成功してからである。これはタバコの葉を侵す病原体であるが、純化されたウイルスは結晶として得られ、とても生物にはみえなかった。しかも化学分析によれば、糖とか脂質などの生体物質はまったく含まれておらず、タンパク質と核酸だけからなっていた。ところがこの結晶をタバコの葉に塗り付けるとウイルスが増殖し、タバコの葉はモザイク病になった。この実験からわかったことは、まるで生きていない単なる物質のようにみえるものでも、タンパク質と核酸さえもっていれば、自分の子孫をつくる(自己増殖)、いいかえると、自分と同じ生物をつくるために必要な情報を子孫に与えるというもっとも生物らしい行為ができるということである。
次に、1944年アメリカの細菌学者O・T・エーブリーは、S型とよばれる肺炎双球菌からDNAを精製し、それをR型とよばれる肺炎双球菌に与えると、R型の子孫がS型になってしまうことを発見した。この形質転換現象はDNAを与えるだけでおこり、タンパク質は必要でなかった。すなわち、S型の親がその子孫もまたS型になるようにと子孫に与えていた情報(遺伝情報)は、DNAという物質中にあったのである。またDNAを化学的あるいは物理的な方法で傷つける(構造を変える)ことによって、人工的に突然変異をおこしうることも知られた。DNAこそ、1866年にG・J・メンデルが予測していた遺伝子の実体だった。さらに1953年にJ・D・ワトソンとF・H・C・クリックが、DNA分子は逆方向に走った2本の鎖が互いに巻き付いた二重螺旋(らせん)構造をしていることを発見した。1956年にはA・コーンバーグが、DNAを手本として、それと同じDNAをつくる酵素を発見した。こうして、遺伝情報がどのようにして子孫に分配されていくかについての分子レベルでの機構も、しだいに明らかになってきた。
RNAの役割はDNA以上に長い間わからなかった。タバコモザイクウイルスなど一部のウイルスでは、RNAが遺伝子として働いているが、これらは全生物界からみれば、ほんの例外的存在にすぎない。遺伝子としてDNAをもつ細菌以上の生物でのRNAの役割はなんであろうか。1950年ころまでには、RNAは核の中ではなく細胞質にあり、とくにタンパク質が盛んにつくられている細胞に多いことが知られてきて、RNAはタンパク質合成に必要なものと推測された。1960年にフランスのF・ジャコブとJ・L・モノーがメッセンジャー(伝令)RNAの存在を予言し、やがてその実在が証明された。そしてタンパク質合成には、メッセンジャーRNAのほかに、転移RNA、リボゾームに含まれるRNAの3種類のRNAが不可欠であることが明らかになった。1961年にはM・W・ニーレンバーグが人工のメッセンジャーRNAを使って試験管内で簡単なタンパク質をつくらせることに成功した。これをきっかけとして遺伝暗号が解読され、またRNAは、DNAに記されている遺伝情報をタンパク質という形で実現するために、さまざまな働きをしていることがわかった。こうして地球上の生物においては、遺伝情報がDNA→RNA→タンパク質の順に伝えられてゆくという法則が広く認められるところとなった。なお、この法則は地球上の生物にとってもっとも基本的なことであり、セントラルドグマとよばれる。しかし、これが絶対的ではないこともやがて知られた。動物に感染するRNAウイルスの一部は、RNAを手本にしてDNAを合成する逆転写酵素をもつことが発見され、RNA→DNAという遺伝情報の流れもあることがわかった。
1970年代後半から、核酸の構造を研究する技術が著しく進歩し、たくさんのタンパク質の遺伝子が解読されるようになった。また、一つの生物種のDNAの塩基配列を完全に解明しようというゲノム・プロジェクトが盛んに行われるようになり、ヒト、ショウジョウバエ、線虫などの多細胞生物はもとより、かなりの種類の微生物について完全なDNA構造が解明された。このことは、人類にとって病気の予防や治療などに大きく役だつ反面、個人のプライバシーへの影響なども危惧(きぐ)される事態をもたらしている。
また人工的に核酸をつくる技術、それを大腸菌などの細菌の中へ入れて増殖させ、その人工遺伝子に基づいてタンパク質をつくらせる技術などが発展した。このようにして遺伝子を人工的につくりかえて、もととは違う特性をもつ生物をつくりだす途(みち)が開けた。このような技術を遺伝子操作あるいは遺伝子工学とよんでいる。
[笠井献一]
所在
核酸にはDNAとRNAの二つの型があるが、ウイルス以外の全生物はその両方をもっている。DNAは動植物の細胞では核内の染色体に含まれている。細胞1個当りのDNAは、一つの種の生物については、どの細胞をとっても一定していて増減することがない。ただし、生殖細胞だけは減数分裂のため、ちょうど半量である。RNAは動植物および細菌を通じて細胞質に存在し、細胞の状態によって増減が著しい。ウイルスはDNAかRNAかのいずれか一方だけをもっている。
[笠井献一]
構造
DNAとRNAの化学的構造はよく似ている。いずれもヌクレオチド(核酸塩基、ペントース、リン酸の各1分子が結合した物質)がリン酸ジエステル結合によって鎖状に重合したポリヌクレオチドである。小さな核酸である転移RNAで100個くらい、遺伝子であるDNAになると数百万個以上のヌクレオチドが重合している。DNAとRNAのもっとも大きな違いは、ヌクレオチドの構成単位の一つであるペントース(五炭糖)が、DNAではデオキシリボースであり、RNAではリボースであることである。また、いずれの核酸もおもな核酸塩基としてはプリン誘導体とピリミジン誘導体各2種類、計4種類を含むが、DNAではそれがアデニン(略号A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)であるのに対し、RNAではアデニン、グアニン、ウラシル(U)、シトシンであり、チミンのかわりにウラシルが含まれる点が異なる。なお、アデニンとグアニンはプリン誘導体、チミン、シトシン、ウラシルがピリミジン誘導体である。ペントースとリン酸でつくられた骨組みに、どのような順序でこれらの塩基が並ぶかによって、ほぼ無限の種類の核酸ができる。また、これらの塩基には重要な性質がある。アデニンとチミン、アデニンとウラシル、グアニンとシトシンという組合せは、塩基どうしの間で水素結合をつくりやすい。これは、アデニンとチミンあるいはウラシルとの間には2本、グアニンとシトシンとの間には3本の水素結合が、ちょうどうまくつくられるような構造関係にあるからである。このような関係を相補的、こうしてできる塩基の対(つい)を相補的塩基対とよんでおり、核酸が生命現象のなかでさまざまな役割を果たすために、なくてはならない性質である。
DNAは方向が逆の2本のポリデオキシリボヌクレオチドが互いに巻き付き合った二重螺旋であるが、片方の鎖にある塩基はすべてもう1本の鎖の塩基と相補的塩基対をつくっている。すなわち、片方の鎖の塩基の並び方が決まれば、相手の鎖の塩基の並び方も必然的に決まってしまうのである。RNAでは分子中の塩基のすべてが対になっている例は少ないが、部分的に相補的塩基対をつくることは多く、転移RNAの独特な立体構造などを形成させる。また、DNAを鋳型としてメッセンジャーRNAが合成されるとき、あるいは転移RNAがタンパク質合成のためメッセンジャーRNAと接触するときにも、一時的に相補的塩基対がつくられることが重要である。
[笠井献一]
機能
DNAとRNAの働きについて、それぞれ簡単に述べる。
[笠井献一]
DNAの働き
遺伝子の実体はDNAであることがわかった。したがって、DNAには、新たに生み出される生物が親に似たものになるために必要な、もっと厳密にいえば、親とまったく同じ種の生物になるために必要な情報がすべて含まれていなければならない。DNAは一つの生物をつくるための設計図のようなものである。ただし、それは平らな紙に描かれたものではなく、たとえていえば、長いテープにA、G、T、Cという4種の符号を並べることによって記されているのである。コンピュータのプログラムは、0と1の二つの符号だけで、どんな複雑な仕事でも指示できるのであるから、遺伝子の符号が4種類というのはけっして少ない数ではない。遺伝が行われるということは、1個の母細胞が分裂して2個の娘(じょう)細胞ができるとき、母細胞のもっていた設計テープが2倍になって、平等に分配されることなのである。
これが分子のレベルでどのように行われるかは、DNAの二重螺旋構造から明快に説明される。細胞が分裂するとき、母細胞のDNAは螺旋がほどけて、それぞれの鎖に対して新しく相補的な鎖が合成される。このことによって母細胞のものと寸分違わぬDNAが2組できて、娘細胞に平等に分配される。このような工程をDNAの複製という。もとの二重螺旋の片方ずつが娘細胞に譲られるので、とくに半保存的複製ともいう。この機構の解明には、日本人の岡崎令治(おかざきれいじ)(1930―1975)が大きく貢献をしている。
さて、A、G、T、Cという4種の符号だけを使った設計テープで、どのようにして生物のような複雑なものを実現できるのであろうか。この設計テープには主としてタンパク質をつくるための情報が収められている。すなわち、タンパク質中のアミノ酸のつながり方が、DNAの塩基のつながり方を使って暗号化されているのである。三つの塩基のつながりで一つのアミノ酸が表されるので、三文字暗号とよばれる。三文字暗号を並べて書いた設計テープにより、膨大な種類のタンパク質(簡単な細菌ですら少なくとも数千種、人間ならば2万数千種類)がつくられる。それは、酵素、ホルモン、抗体、構造タンパク質、そのほか千差万別の役割を担っており、それらが秩序をもって働くことにより、生物は生まれ、成長し、活動し、子孫をつくるのである。
タンパク質に含まれるアミノ酸は20種類であるから、遺伝暗号も20種あればよい。一方、4種の塩基で三文字暗号をつくるなら、43=64通りの暗号をつくれる。このうちの三つは句読点として使われ、残りの61が20種のアミノ酸に割り当てられている。三文字暗号はメッセンジャーRNAを使う実験から解読されたので、普通はメッセンジャーRNA上の塩基の並び方として表される。
DNA上の遺伝暗号に間違いがおこると、タンパク質上のアミノ酸が間違ったものに変わってしまう可能性がある。これを突然変異というが、放射線や化学物質などの影響で、DNAの複製が正しく行われないときにおこる。そして一部に間違いのあるタンパク質が、本来の役割を果たせない場合には、その子孫は生存に不利が生じたり、遺伝病をもったりする。反対に、非常にまれではあるが、間違いのあるタンパク質が、もとのタンパク質よりも優れていることもありうる。このことの積み重ねで生物は進化してきたのである。
[笠井献一]
RNAの働き
DNAの役割が遺伝情報の保存と伝達であるのに対し、RNAの役割はその実体化にある。すなわち、タンパク質の合成を推進するために働いている。ここでは3種類のRNA、すなわちメッセンジャーRNA(mRNA)、リボゾームRNA(rRNA)、転移RNA(tRNA)がたいせつである。メッセンジャーRNAとは、長大なDNAのなかで、いままさに合成しなければならないタンパク質に必要な情報だけを写しとったものである。これはDNAの複製と似たやり方で、二重螺旋の片方の鎖に相補的な(ただし、チミンはウラシルに置き換えられる)1本鎖RNAがつくられる。この工程を転写といい、高等な生物では核の中で行われる。次にメッセンジャーRNAは核から出て、細胞質にあるリボゾームという巨大な粒子のところへ行く。リボゾームは数十種のタンパク質と3種のRNA(リボゾームRNA)が集合したもので、タンパク質合成装置である。ここでメッセンジャーRNAの三文字暗号に従って、アミノ酸をつなげてゆく作業が行われる。これを翻訳とよぶ。アミノ酸自身は、自分を表す暗号を読むことはできない。そこで通訳の役割を果たすのが転移RNAである。転移RNAは遺伝暗号の種類に相当するくらいの種類があるが、それぞれが、決まったアミノ酸と決まった三文字暗号に対応するように専門化されている。分子量は2万ないし3万くらいの小さいものであるが、定められた1種類のアミノ酸を結合する部位と、メッセンジャーRNAに結合する部位とをもっている。後者はそのアミノ酸に対する三文字暗号にだけ結合するように、三つの相補的塩基が並んだ部分である。したがって、転移RNAは、定められたアミノ酸を結合しておき、メッセンジャーRNA上にそのアミノ酸に対する三文字暗号が現れたとき、タンパク質合成装置にそのアミノ酸を手渡すことができる。こうして定められた順番にアミノ酸がつなげられて、タンパク質が合成されるのである。
[笠井献一]
遺伝子操作の概要
目的とするタンパク質の遺伝子DNAを入手するため、そのタンパク質をたくさんつくっている細胞から、メッセンジャーRNAを取り出し、逆転写酵素を使って相補的DNAをつくらせる。これを細菌に寄生する輪になったDNA(ベクターという)に組み込む。この操作はいわば切り張り細工で、ベクターの一部を切断し(制限酵素という特殊な酵素を使う)、その切れ目に目的のDNAを挿入してから、リガーゼという酵素でつなぎ合わせ、ふたたび輪にする。この組換えベクターを細菌に寄生させると、組み込まれたDNAが指令を発し、メッセンジャーRNAがつくられ、さらに目的のタンパク質がつくられる。遺伝子工学で利用される手段のうちで、とくに画期的なものはPCR法(polymerase chain reaction法、ポリメラーゼ連鎖反応)で、アメリカのK・B・マリスが発明したものである。DNA鎖中の特定の部分だけを100万倍以上に増幅できるので、ごく微量のDNAをもとにして、目的とする部分の塩基配列を解明でき、またその部分に書かれている遺伝暗号に基づいてタンパク質を生産することもできる。もとになる二重螺旋DNAを加熱して、ばらばらの1本鎖状態にする。そこに目的とする部分の端の配列に対して相補的な短いDNA断片(プライマーとよぶ)を加えて温度を下げると、プライマーが結合して部分的に二重螺旋が再生する。そこにDNAポリメラーゼを加えると、プライマーを出発点として相補的に鎖を合成する。この操作をもとは相補的だった2本の鎖に対してそれぞれ行えば、目的部分だけが2倍に増幅される。マリスの発明の画期的だった点は、酵素として耐熱性細菌が生産する耐熱性DNAポリメラーゼを利用したことである。このことによって、倍化した二重螺旋をふたたび加熱して、それぞれ1本鎖とし、以下、前述したのと同じ操作を1本の試験管内で何回でも繰り返せるようになった。反応溶液の温度を上下させるだけで1サイクルの反応が進み、DNAの目的部分が倍化されるから、10回のサイクルで約1000倍、20回のサイクルで約100万倍になる。この方法の原理をたとえ話で示すと、写真のネガとポジを使って、ネガをもとにしてポジを、ポジをもとにしてネガをつくるというサイクルを繰り返して、2倍、4倍、8倍と増やしていくようなものである。この方法の有用性は限りなく大きく、今日のライフサイエンスのほとんどの場面で利用されている。親子鑑定、病気の診断、犯人の特定、病原体(病原性大腸菌、牛海綿状脳症など)の特定、その他多くの基礎研究などである。ただし、個人の遺伝情報をいとも簡単に知ることができるようになったため、それが差別の道具に使われたりしないよう、その取扱いについて十分に注意する必要がでてきた。
これらの方法で、動物からはごく微量しか得られないタンパク質でも、大腸菌などにたくさんつくらせることができる。人工的に合成したDNAを使えば、地球上に存在しないタンパク質を創造することも可能になる。絶滅した生物種をよみがえらせる試みもなされており、恐竜は無理としても、マンモスなら近い未来に実現するかもしれない。
[笠井献一]