栃木(市)(読み)とちぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「栃木(市)」の意味・わかりやすい解説

栃木(市)
とちぎ

栃木県南部にある市。1937年(昭和12)市制施行。1954年(昭和29)大宮、皆川(みながわ)、吹上(ふきあげ)、寺尾の4村、1957年国府(こう)村を編入。2010年(平成22)、下都賀(しもつが)郡大平町(おおひらまち)、藤岡町(ふじおかまち)、都賀町を合併。2011年上都賀郡西方町(にしかたまち)、2014年下都賀郡岩舟町(いわふねまち)を編入。JR両毛(りょうもう)線と東武鉄道日光線が通じ、新栃木駅から東武鉄道宇都宮線が分岐する。国道50号、293号が通じ、東北自動車道の佐野藤岡(一部は佐野市)、栃木の2インターチェンジと東関東自動車道の都賀インターチェンジがある。両自動車道は市域内の岩舟ジャンクションと栃木都賀ジャンクションで接続している。中世は皆川氏の本拠地で、1230年(寛喜2)皆川に城を築き、1394年(応永1)栃木に平城(ひらじろ)を築き城代(じょうだい)を置いた。1609年(慶長14)皆川氏滅亡後、江戸時代には巴波(うずま)川(渡良瀬(わたらせ)川の支流)の河川交通による市場町日光例幣使(れいへいし)街道の宿駅として栄えた。1871年(明治4)から13年間、栃木県の県庁所在地であった。1884年県庁は宇都宮に移ったが、県名だけは栃木県として残っている。市域の北西部足尾山地の一部で、永野川、巴波川、思(おもい)川がつくる吹上扇状地が広がり、その扇端部に市街地が展開する。市域は永野川、巴波川沿いに南北に長く、南部は渡良瀬遊水地(渡良瀬遊水池とも)にまで至り、群馬県、埼玉県と接する。米、大麦をはじめ、イチゴや野菜の施設園芸や、観光ブドウ園などにも力を入れている。中東部の大宮、国府地区を中心に機械工業が発展したが、在来食品工業のみそ、清酒漬物などに加え、西部の皆川、吹上地区にある食肉加工、洋酒などの生産が増加した。在来工業の下駄(げた)、かいろ灰、粘土瓦(ねんどがわら)などは需要が減退している。東南部の旧太平町地区は日立製作所、いすゞ自動車の工場やその下請工場が集まる工業の町として発展。さらにその南部に続く旧藤岡町地区には縫製工場と機械・電気関係の中小工場が立地。また、遊水地のヨシ・スゲを利用した農閑期の葭(よしず)編みや菅笠(すげがさ)の特産品もある。市街地の巴波川沿いは土蔵や見世蔵が連なり、嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区に選定される。西部に太平山県立自然公園(おおひらさんけんりつしぜんこうえん)があり、本市出身の山本有三の『路傍の石』の文学碑も建てられている。その南麓(なんろく)に七不思議の寺として知られる大中寺(だいちゅうじ)、また晃石(てるいし)山の南麓に「滝の観音(かんのん)」で知られる清水(せいすい)寺がある。国指定史跡に下野(しもつけ)国庁跡(田村町)、吾妻古墳がある。木(き)の八幡宮(都賀地区)の例祭に奉納される木の杖術(じょうじゅつ)は県指定無形民俗文化財。面積331.50平方キロメートル、人口15万5549(2020)。

[村上雅康]

『日向野徳久著『栃木市の歴史』(1966・栃木市)』『『栃木市史』全7巻(1979~1988・栃木市)』


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